電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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ビオメハニカ (2009年08月11日)

 今日読んでいた本よりメモ。

 ロシア十月革命後の1922年、モスクワで上演された『堂々たるコキュ』の舞台演出を手掛けた演出家メイエルホリドは、舞台上から書割やフットライト等といった大道具をことごとく取り払い、その代わりに剥き出しの木製構造物を設置した。役者はノーメイクで作業服を身にまとって舞台に立ち、演劇は剥き出しの構造が露出した舞台装置と人間の身体運動だけで構成された。
 リュボーフィ・ポポーワが担当した構成主義の舞台とともに、この上演で大きな意味をになったのは、ビオメハニカ(生体力学)の理論である。それは端的に言って、俳優演技の理論においてメイエルホリドが到達した「約束劇」の集約点だった。(略)「真に演劇的なもの」の実現をめざすプロセスで、メイエルホリドは、古代劇、中世神秘劇、歌舞伎、イタリア民衆演劇、キャボタン、サーカスとさまざまな演劇言語の発見につとめてきた。しかし、革命と同時に、それにかわって彼が自分に与えた課題とは、真に唯物論的な世界観に貫かれた演技システムの開発だった。(略)俳優は何よりもまず、演劇の素材たる身体のメカニズムに精通し、それを正しく使いこなす能力を身につけなければならない。(略)メイエルホリドはまず、人間の生産活動における労働(ないし疲労)と休息の問題にふれ、社会主義社会でのあるべき正しい姿を示す。

「労働は、容易に、快適に、かつ間断なく行われなければならず、芸術は、たんに娯楽としてではなく、労働プロセスに役立つなにか本質的に不可欠のものとして新しい階級に利用されなければならない。ということは、われわれの創造の形態のみならず方法をも変えざるを得ないということだ。」

 (略)……芸術の本質はつねに素材を組織することであるとの観点に立って、N=A1+A2の公式を呈示するのである。この図式において、俳優(N)は、構想をたて、指示を与えるもの(A1)と、素材としての身体であり構想者の指示を実行に移す者(A2)から成り立っている。俳優は、外部から与えられた課題に即座に応じられるよう、自分の身体(素材)を十分に鍛えあげなくてはならない。そしてその課題は、迅速かつ正確に行わなければならない。そのために彼が奨励するのが、テイラー・システムの導入である。それには次の二点が大前提となる。

一、休息は、労働プロセスのなかに組み込まれて休止という形をとる。
二、芸術は、生活に不可欠な一定の機能を果たすが、それはたんなる娯楽ではない。

 ここから、未来の俳優は、メーキャップにかける無駄な時間をはぶき、作業服がそのまま舞台衣装となるようなデザインの服を着て演じることになる。演劇のテイラー・システム化は、時間の節約に絶大な効果を生むことになるが、それが実現されるためには、一に、反射的な興奮性の才能をもつこと、二に、恵まれた身体、確かな目、平衡感覚、いかなる瞬間にも自分の重心を知覚できる能力が要求される。そうしてはじめて役者は観客にみずからの演技を感染させ、みずからもまた演技の核となる「感じやすい興奮性」の状態に達することができる。体操、アクロバット、舞踏、リトミック、ボクシング、フェンシングは、むろん、ビオメハニカ教程の前提でしかない。
 ……

(亀山郁夫『終末と革命のロシア・ルネサンス』岩波現代文庫、2009年、p.232-235 ※原文の字下げ引用部は鍵括弧にて代用)


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20882751.html

一足先に自由になった兵士のために (2009年08月11日)

自分が自分であるために、捨ててきたものの数を数える。声にならない声が聞こえてくる。

(『装甲騎兵ボトムズ』第40話予告より)





 今日は下記の文章に触発されて、イタい自分語りをしてみたくなりました。w

「質問されているのに答えが返せない理由」

 この気分はよくわかってしまうなー。学生の頃の私はまさしくこんな感じでしたし、会社勤めを始めてからも長い間このようなスタイルでした。一意の“正解”などありえないような問いであると頭では判っていても、それでもなお“誤答”を恐れて何も答えられなくなってしまうという心性。
 その後いろいろあって、自分の意識の中にあるこのような考え方を徹底的に破砕しようとした時期がしばらく続いたのですが、長年に渡る習慣は私の中に根強く残っていて、今でもなお、他人に向けて“正解”ならざる回答を出すことを躊躇する傾向は強くあり、Web上の遣り取りではない対面的なコミュニケーションではこの傾向が一層強まります。

 自分自身を少し掘り下げて考えてみると、「“正解”を出せないのなら、せめて“誤答”を返すよりは“白紙回答”のほうがいい」という考え方は、「間違った自分」を記録や記憶に残したくない、「間違った自分」を他人に覚えてほしくない、という心性の現われではないかと思います。「正しい自分」か、あるいはせめて「正誤未確定の自分」を覚えておいてほしい、と。自分のことを絶対無謬の神様のような人間だと他人に思ってほしい、などと積極的に願っているわけではないのですが、結果から言えば事実上それに近い願望を持っているのだろうな、という気はします。それがいったい何故なのかについては、未だによく判ってないのですが。
 でも、当然のことながら私は神様でも天才でも何でもないごく普通の凡人なので、知らないことも間違えることもしょうもない勘違いをすることも、人生の中ではたくさんあるわけです。
 そのような場合、私はいったいどうするのか。どうやって「間違った自分」の脅威から自分の心を防衛するのか。
 ひとつの方法は、上記のように、“誤答”の恐れがある問いについては最初から回答せずに“白紙回答”で済ませるというものです。
 もうひとつは(……言っちゃってもいいのかな、えーい言っちゃえ、今日はイタい自分語りの日だ)、「間違った自分」が生じた後で、適当な頃合を見て「間違った自分」を人生から切り離してしまうことです。もちろん自分自身の記憶から過去の「間違った自分」を都合よく消滅させられるわけでもなく、他人の記憶や記録の中から「間違った自分」を消去できるわけでもないのですが、「間違った自分」を記憶している生活空間から自分を遠ざけたり、自分のコントロールできる範囲で「間違った自分」の記録を消去あるいは非公開とすることで、当座のコミュニケーション空間においては「間違った自分」が前景化することはない、という自己防衛方法になるわけです。こう書くとなんかすげーヤな奴ですね俺。
 しかも、子供の頃にある程度それを可能とする環境が結構長続きしたせいで、過去の「間違った自分」を適当なところで切り捨ててしまうという行動パターンがほとんど第二の天性のようになってしまい、その名残が未だに尾を引き続けています。そんな自分の心性に対して、時折強烈な自己嫌悪を覚えながらも。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20861932.html

無文字文化に文字を導入する (2009年08月07日)

 言語論に興味のある人にはちょっと面白い話題かもしれません。

「文字をもたないインドネシアの少数民族、ハングルを採用」(AFP-BB 2009/8/6)

 ハングルの特徴は、文字の組み立てが徹底的に合理的な体系を為しているという点にあります。韓国語(朝鮮語)の発音を何十個かの音素に分解した上で記号化し、その上で母音を示す記号と子音を示す記号を組み合わせることで文字が出来上がるため、記号さえ覚えればその組み合わせによって読み方は一意に決定できるし表記も出来ます。その点では非常に教えやすく覚えやすい文字体系であると言えるでしょう。ただし、もともと韓国語(朝鮮語)を表記するのが目的なので、音素の分節の仕方はあくまでも韓国語(朝鮮語)の音韻構造に最適化されたものであり、上記の無文字言語の音韻構造にハングルがどの程度適合しているのかはこの記事だけではちょっと判りません。
 言語の基礎は維持しつつ文字体系だけを外部から導入する事例としては、歴史的にはベトナム語表記のアルファベット化やモンゴル語表記のキリル文字(ロシア文字)化などが有名ではないかと思いますが、これらの事例は、今回報じられているような無文字文化に文字を導入するケースとは異なり、既に別種の文字体系があったところへ外部から別種の文字を導入・“上書き”するというものです。どちらかと言えば、正字法が無く決まった文字表記の文化もなかった9世紀のスラブ言語圏に聖書を普及させてキリスト教を布教するために、東方正教会の宣教師たちがギリシア文字を改造したキリル文字を考案して広めたケースのほうに近いと言えるかもしれません。

 なお、人工的に構築された合理的な言語体系というと、以前にちょっと触れたことのあるエスペラントなどを思い出しますが、エスペラントが文法や語彙体系を合理化しつつ文字については従来のアルファベットをほぼ踏襲しているのに対して、ハングルは言語体系としての韓国語(朝鮮語)の文法や語彙体系は維持しつつ、それを表記する文字だけを合理化・体系化したものです。この違いは、エスペラントが語用全般に渡る新規の人工言語創出を目指したのに対して、ハングルは(考案時点での)現行の韓国語(朝鮮語)のあり方は維持しながら、その文字表記の簡略化による識字文化の社会的拡大を図ったという点に由来します。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20778396.html

のりピー (2009年08月07日)

 変な話ですが、一連の報道の中でいちばん強く印象に残ったのは、「酒井法子容疑者」という呼び名のインパクトの強さです(そろそろ聞き慣れてきましたが)。
 バラエティ番組のコントの中でわざと異化効果を狙って使う場合でも無い限り、そんな呼び名ありえねーだろ、とつい思ってしまうような取り合わせ。押尾学の事件や大原麗子さんの訃報が一気に霞んでしまった印象も無きにしも非ず。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20777693.html

週刊ビスマルク、『モハメド・アリ』、新訳『1984年』 (2009年08月01日)

 デアゴスティーニ・ジャパンあたりがよく出している分冊百科で、しばらく前から付録として組立キットのパーツがついてくるというものが刊行されるようになりました。(むしろ冊子が付録か?) 毎号少しずつパーツを組み立てていって、全号集まると大きな模型が出来上がるというものです。
 先日本屋に寄ったら、このキット付き分冊百科の新刊として『戦艦ビスマルク』なるものが置いてあって、こんなマイナーなものをよく出すなあ、とヘンなところで感心してしまいました。ビスマルク自体は軍艦としてはかなり有名どころだと思いますが、果たして「日本の」本屋に置いて売れるんでしょうか。もともとこの企画は日本オリジナルというわけではなく、アシェット社がイギリスで既に発売しているものの邦訳版(?)なのだそうで、イギリスなら対ビスマルク海戦の当事国ですしそれなりに売れ筋にも入ってくるんだろうとは思いますが、日本でビスマルクは……うーん。


 本つながりで。
 今週はトマス・ハウザー『モハメド・アリ ─ その生と時代(上・下)』(小林勇次訳、岩波文庫、2005年)を読んでいました。
 著者自身の言葉を極力最小限にとどめ、アリ自身を含めた無数の関係者のインタビューを組み合わせることによって、当時の人々自身の言葉によって「アリと共にあった日々」を再構成するという趣向の評伝です。人づきあいとボクシングをこよなく愛し、意志と信念は人一倍強固だけれど決して聖人ではなく、無数の失敗も犯してきた“普通の人間”が、ベトナム戦争と公民権運動に揺らいだ1960年代のアメリカ社会で時代そのものを自分自身に引き受けながら非凡な人生を歩んできた道のりを、本書は無数の人生経験の生の言葉で描き出しています。


 もうひとつ。
 ハヤカワ文庫から今月の新刊として出ているジョージ・オーウェル『1984年』の新訳版で(まさか『1Q84』便乗企画じゃないでしょうね)、巻末にトマス・ピンチョンの『1984年』評が収録されています。その中でピンチョンは、同書の巻末に配されている「ニュースピーク(新語法)」解説の意義について、文章が全編過去形になっており、しかも解説文自体は別にニュースピークで書かれているわけではないことから、これはニュースピーク(新語法)が既に過去のものとなった「1984年」以降の時代の視点で書かれたものであり、作中のオセアニア国のような全体主義体制は決して永続するものではないというオーウェルの希望を表しているのではないか、という見方を提示していました。もともと『1984年』はかなり以前から私の愛読書の一つでもあったのですが、こういう読み方には気付きませんでした。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20601949.html

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