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"Who dares..." (2008年12月06日)
ちょっと古い話題ですが、イラク戦争に従軍した英軍特殊部隊SASの隊員の一人が(実際に従事したのはフセイン政権打倒後に潜伏中のアルカイダ組織等を索敵・掃討する任務だったようです)、戦争の目的に疑問を抱いて任務を拒否し、SASを去ったことがあるそうです。
内容についてはリンク先を読んでいただくとして、私は記事の本筋と違うところで、グリフィンに対する上官の対応が非常に面白いと思いました。
「精神的に安定した誠実な兵士であり、自分に正直でいられる強さと人格を備えた兵士である」……推薦状に書かれたこの評価は、恐らく「SAS隊員たるに相応しい人物である」という評価と、それほど異なったものではないのではないかと思います。ここで触れられているPMC(民間軍事会社)はイラク戦争におけるブラックウォーター社などの事例を通じて広く知られるようになり、「戦争の民営化」を強く印象付けたものですが、グリフィンがPMCに誘われたから除隊を志願しているのではないと判ったら理解を示すようになったという上官氏は、利得ではなく自らの理念に基づいて行動を決する自律的な兵士としてのグリフィンに、かえってSASのプライドを高められたように感じたのではないでしょうか。
SAS入隊志願者の選抜試験では、南ウェールズのブレコン・ビーコンズ国立公園(ここから北東に向かってイングランドに入ったあたりに、SAS基地の所在地であるヘリフォードの街があります)の山野で、地図とコンパスを頼りに時間制限ありのオリエンテーリングが行われますが、この試験の特徴は、志願者にもフィールドの試験官にも制限時間がいったい何時なのかがいっさい示されないことです。リミットがいつなのかは判らないけれどもリミットそのものは必ずあるので、志願者は具体的な目標時間を知らぬままに、とにかく可能な限り早く目標地点に着かなければなりません。そのうちに疲れてきて休息を取りたくなっても、事前にリミットが判っていれば自分の現在位置と照らし合わせてペース配分を調整することができますが、いつまでに着けばいいという目標が判っていないところではペース配分も何もありません。今ここで5分の休憩を取ることは、もしかしたら制限時間オーバーにつながるのかもしれないしつながらないかもしれない、でもどちらかがまったく判らない以上、うかつに落選のリスクを負うわけにはいかない……という感じで、志願者は常に精神的に追い込まれた状態で前進を続けなければならなくなります。肉体的に極限状態まで追い込まれてもなお自らを律することが出来なければ、SASに相応しい人間だとは認められないのでしょう。
米軍の特殊部隊(グリーンベレー)将校だったチャールズ・ベックウィズ大佐はSASに研修将校として派遣された時にこの奇妙な選抜試験に感銘を受け、後にSASをモデルにして自ら創設した特殊部隊「デルタ・フォース」でも同様の選抜試験を採用しています。面白いのは、この選抜プログラムは特に何らかの心理学的な理論や根拠を基にして構築されているのではなく、経験則で「とりあえずこの方法によって良い隊員が見つかっているから」続けているということです。(*01)
有名な元SAS隊員のアンディ・マクナブも回想録『ブラヴォー・ツー・ゼロ』や『SAS戦闘員』等の中で、SAS連隊が一般のイギリス軍部隊に比して独立独歩の気風を非常に強く持った組織であることを随所で強調しています。
自らの良心に忠実であろうとするために、軍法会議の危険を冒して、苦闘の末に手に入れたSASのベレーを敢えて自らの手でなげうったグリフィンの行動は、方向性こそまったく違いますが、決して"Who dares"(*02)であることまで辞めたわけではないと、本人にも連隊にも思われていたのかもしれません。先のブログで紹介されていたTelegraphの記事によれば、「グリフィンはかつての同僚には最大の敬意を有しており、所属していた連隊には今なお完全に忠誠である」との事です。
SASの本拠であるヘリフォード基地ではまったく知られていなかったが、グリフィンはかねてより、イラク戦争の「合法性」について疑問を抱いていた。サダム・フセインが暴虐な独裁者で西側にとっての脅威であることは認識していたが、その脅威は小さなものであり、イラク戦争は正当な理由のない戦争であると考えていたのである。……
(略)
2005年3月、1週間の休暇を得たグリフィンは、休暇中に上官と正式な面談をおこなった。そこで彼は、この戦争はモラル上誤ったものであると考えているため、イラクにはもう戻るつもりはありませんと告げた。それだけではなく、彼は、ブレア首相と英国政府は国に対して嘘をつき、イラクで任務についている英軍兵士すべてを欺いたと考えている、とも述べた。
(「Falluja, April 2004 - the book」 2006/3/20 任務拒否のSAS隊員「私が英軍に入ったのは、米国の外交政策を実行するためではない」(2))
バグダッドに3ヶ月派遣されたあと、ベン・グリフィンはそれ以上アメリカ軍と一緒に戦うつもりはないと上官である指揮官に告げた。
彼は米軍によって遂行された「何十もの不法行為」を目にしたと話し、米兵は全イラク国民を下等な人種のように見ていると訴えた。
彼の決断は、戦闘に赴くことを拒否し道義的な理由から軍を辞めるSASの兵士として初めての前例となった。
それは即グリフィンの模範的な8年の、軍歴に終止符を打つこであった。彼の軍歴には北アイルランド、マケドニア、アフガニスタンにおける作戦に落下傘(パラシュート)連隊として従軍したことが含まれる。
(「イラクでの米軍戦術を嫌ってSAS兵士が軍離脱 SAS soldier quits Army in disgust at 'illegal' American tactics in Iraq」テレグラフ 2006年3月12日)
内容についてはリンク先を読んでいただくとして、私は記事の本筋と違うところで、グリフィンに対する上官の対応が非常に面白いと思いました。
グリフィンは、そのような見解を述べれば逮捕され、腰抜けとのレッテルを貼られ、軍法会議にかけられ、投獄されるだろうと覚悟していた。……
しかし実際には、彼は華麗な軍歴に一切傷をつけることなく、そればかりか上官からの賛辞にあふれた推薦状を持って、陸軍を去ることができた。上官は推薦状において、グリフィンのことを「精神的に安定した誠実な兵士であり、自分に正直でいられる強さと人格を備えた兵士である」と評している。
(略)
「1週間の休暇で英国に戻ったときに、直属の上官と面談を願い出て、その席で、イラクで起きていることは、法的にはもちろん作戦としても間違っていると思うと言った。
「最初は、上官は私にイラクのPMC(private military company)の仕事の誘いでもあったのではないかと思っていたが、そうではないということがはっきりすると、非常に理解を示してくれた。私にとっては大きな決断だった。私はSASに入るためにものすごく努力した。気まぐれで決めたことではない。」
「上官は私の考えを理解してくれた。そしてすばらしい態度を示してくれた。実際、誰もがすばらしい態度で迎えてくれた。私にはこの先どうなるかはわかっていなかった。任務拒否で起訴されるか、コルチェスター[の軍刑務所]に送られるのではないかと思っていた。」
(任務拒否のSAS隊員「私が英軍に入ったのは、米国の外交政策を実行するためではない」(2))
「精神的に安定した誠実な兵士であり、自分に正直でいられる強さと人格を備えた兵士である」……推薦状に書かれたこの評価は、恐らく「SAS隊員たるに相応しい人物である」という評価と、それほど異なったものではないのではないかと思います。ここで触れられているPMC(民間軍事会社)はイラク戦争におけるブラックウォーター社などの事例を通じて広く知られるようになり、「戦争の民営化」を強く印象付けたものですが、グリフィンがPMCに誘われたから除隊を志願しているのではないと判ったら理解を示すようになったという上官氏は、利得ではなく自らの理念に基づいて行動を決する自律的な兵士としてのグリフィンに、かえってSASのプライドを高められたように感じたのではないでしょうか。
SAS入隊志願者の選抜試験では、南ウェールズのブレコン・ビーコンズ国立公園(ここから北東に向かってイングランドに入ったあたりに、SAS基地の所在地であるヘリフォードの街があります)の山野で、地図とコンパスを頼りに時間制限ありのオリエンテーリングが行われますが、この試験の特徴は、志願者にもフィールドの試験官にも制限時間がいったい何時なのかがいっさい示されないことです。リミットがいつなのかは判らないけれどもリミットそのものは必ずあるので、志願者は具体的な目標時間を知らぬままに、とにかく可能な限り早く目標地点に着かなければなりません。そのうちに疲れてきて休息を取りたくなっても、事前にリミットが判っていれば自分の現在位置と照らし合わせてペース配分を調整することができますが、いつまでに着けばいいという目標が判っていないところではペース配分も何もありません。今ここで5分の休憩を取ることは、もしかしたら制限時間オーバーにつながるのかもしれないしつながらないかもしれない、でもどちらかがまったく判らない以上、うかつに落選のリスクを負うわけにはいかない……という感じで、志願者は常に精神的に追い込まれた状態で前進を続けなければならなくなります。肉体的に極限状態まで追い込まれてもなお自らを律することが出来なければ、SASに相応しい人間だとは認められないのでしょう。
米軍の特殊部隊(グリーンベレー)将校だったチャールズ・ベックウィズ大佐はSASに研修将校として派遣された時にこの奇妙な選抜試験に感銘を受け、後にSASをモデルにして自ら創設した特殊部隊「デルタ・フォース」でも同様の選抜試験を採用しています。面白いのは、この選抜プログラムは特に何らかの心理学的な理論や根拠を基にして構築されているのではなく、経験則で「とりあえずこの方法によって良い隊員が見つかっているから」続けているということです。(*01)
「SASと他の部隊との違いは、正規軍の兵士は状況が悪化してはじめて自分自身の生き残りのため戦うのにたいし、SAS隊員は常時、ひとりで活動する気構えをもたなければならない点だろう」英国の第22SAS連隊の元指揮官はそう語っている。「SAS隊員にとって、それが常態なのだ」。フォークランド紛争のさい、ポート・スタンリーのアルゼンチン軍主力基地の近くに監視所を設営するため投入された、総勢4人のパトロール隊は自軍からいかなる増強も補給も完全に遮断された状態で、28日間も活動した。わずか数日分の糧食しか携行していなかったが、彼らは食料の補給が可能になるまで、16日間にわたり、敵方のヘリコプター基地の位置を確定しようと頑張りつづけた。(略)彼らは凍えるような雨や雪のなか、ぬれた地面に穴を掘り、湿った泥炭で風よけをつくり、そのなかで生活した。
(略)
「こんなことをやり遂げられる部隊は世界でもほかにない」本人もSASの選抜コースをパスした米陸軍デルタ・フォースの副官、〈バッキー〉バラーズは言う。「他の部隊の兵士なら、とうに逃げだしていただろう。SASの選抜コースは、こうした場合に逃げださないタイプの兵士を確実に手に入れる唯一の方法なのだ」
「選抜コースがどうして有効なのか、私にも説明できない」とSASでこのコースの運営面を担当するジョン・ウッドハウスは言う。「でも、うまくいくんだ」とチャールズ・ベックウィズも言う。この方式を丸ごとデルタ・フォースに導入したベックウィズは、SAS式選抜コースについて、「精神的、肉体的耐久力の想像しうる限界点を超えた地点までそのものを追いこみ、最後のひとしぼりともいうべき余力、人間をそれでも前進させるいわくいいがたい特質へと到達させる精神力を引きだすもの」と形容している。
「選抜コースでは肉体的耐久力の限界まで人間を追いこんだあと、さらに5マイル余分に前進させる」と第22SAS連隊のミック・マッキンタイヤー軍曹は言う。「問題は肉体的消耗を精神力によっていかに克服するかにある。体組織のすべての筋肉が悲鳴をあげて停止したとき、なおも前進をつづけさせるために」
(マーティン・C・アロステギ『暗闇の戦士たち 特殊部隊の全て』平賀秀明訳、朝日新聞社、p.147-149)
有名な元SAS隊員のアンディ・マクナブも回想録『ブラヴォー・ツー・ゼロ』や『SAS戦闘員』等の中で、SAS連隊が一般のイギリス軍部隊に比して独立独歩の気風を非常に強く持った組織であることを随所で強調しています。
自らの良心に忠実であろうとするために、軍法会議の危険を冒して、苦闘の末に手に入れたSASのベレーを敢えて自らの手でなげうったグリフィンの行動は、方向性こそまったく違いますが、決して"Who dares"(*02)であることまで辞めたわけではないと、本人にも連隊にも思われていたのかもしれません。先のブログで紹介されていたTelegraphの記事によれば、「グリフィンはかつての同僚には最大の敬意を有しており、所属していた連隊には今なお完全に忠誠である」との事です。
- (*01) こうした経験主義的・実際主義的な発想は、イギリスからロック、バークリー、ヒュームといった経験論哲学の名立たる潮流が生れていることとも、どこか共通したものがあるように思えてきます。
- (*02) SASは創設以来"Who dares wins"(危険を冒す者が勝利する)を標語に掲げており、部隊マークにもこの言葉が刻まれています。
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