電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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『ユナイテッド93』とビンラディン系FLASHゲーム (2008年11月24日)

 先日、911同時多発テロでハイジャックされた旅客機のうち目標に到達せずに墜落した一機を舞台にした映画『ユナイテッド93』を地上波(テレビ東京の「木曜洋画劇場」枠)で放送していたので、ちょっと観ていた。結構よく出来た作品で、結末が判っていても最後にはつい手に汗を握ってしまう。
 この映画は、ユナイテッド93便の搭乗から墜落までの約二時間をほとんどリアルタイムで描き、あの朝の恐怖の二時間をそのまま、再現しようとしている。
 乗客たちを演じるのは全員、まったく無名の俳優だけ。
 地上の航空管制官たちや空軍の軍人たちは、実際の911テロに立ち会った本人たちが本人を演じている。
 会話は断片的で無意味(日常の会話は無意味な言葉の連続なので)、映像は全部、揺れ動く手持ちカメラだけ。
 つまり、これはまるでドキュメンタリーにしか見えないのだ。再現ドラマであるにもかかわらず。
 懸念されたような、観客を「泣かせ」る煽情的な演出や、イスラムへの怒りを煽るプロパガンダ性は一切ない。
 とにかく、93便の乗客と同じ恐怖を観客に体験させることに徹しているのだ。
 映画館の座席に座っていると、ハイジャックされた飛行機に自分が乗っているような錯覚に陥るほどの徹底した迫真性だ。
 映画史上最も凶悪なジェットコースター映画といってもいい。

ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 2006/5/14『「ユナイテッド93」は究極のジェットコースター映画』

……そして本作をポール・グリーングラスという才能が手がけることは、その映画にまつわるジレンマを乗り越えるための数少ない手段のひとつだった。『ブラッディ・サンデー』、『ボーン・スプレマシー』という代表作を持つグリーングラス監督は、映像に極めてストイックなドキュメンタリー・タッチを刻み込むことで評価された名匠だからだ。
(略)
……各々の描写はいつも以上に限りなくストイック。そして機内で起こったであろう残虐行為に関してはその生々しさが極力控えてある。リアルなのはそういう残虐性や血糊の多さではなく、乗客らが陥った恐怖、不安、驚き、哀しみ、それらすべてを複雑に混在した臨場感の方にこそ向けられる。グリーングラスはキャスティングしたほぼ無名の俳優たちと共に、時には即興性を交えながら乗客の心理状態へのアプローチを試みる。だが同時に、観客がそれにシンクロし過ぎて客観性を失わないように(スピルバーグの『プライベート・ライアン』ではそれを観て卒倒した高齢者が続出したというし)管制官、アメリカ空軍、記録映像といった様々なビジョンを挿入しつつ、決してセンセーショナルに陥らない「淡々とした映画」のスタンスを適温でキープし続けてもいる。
それは映画作りというよりは、むしろ「9・11に関するワークショップ」のようですらあったかもしれないし、やがて我々にもその単なる目撃者ではなく、観客という名の参加者として意識せざるを得ない状況が生まれてくる。だからこそこの映画に触れた後は「感動した」とか「テロは許せない」とかそういう感想よりも、ユナイテッド93便の乗客たちがやがて意を決してテロリストに立ち向かっていくまでの「心の流れ」のようなものが極めてリアルに受け止められる。……

セガール気分で逢いましょう 2006/8/9「『ユナイテッド93』という名の、追体験ワークショップ」

 ただ、映画そのものがよく出来ているだけに、かえって「ヤバいなぁ」と思うところもあった。
 登場人物の心理をなるべく真に迫った形で観客に追体験してもらうリアリティ追求の一環として、ハイジャック犯はほとんど英語を喋らず、機内ではもっぱらアラビア語(だろう、たぶん)で乗客に怒鳴ったり威嚇したりするのだが、このアラビア語には字幕も吹替えもつかない。理由は簡単で、現実の世界には字幕も吹替えも「ほんやくコンニャク」もないからだ。アラビア語を母語とする犯人にとってはそれこそが通常のコミュニケーション手段なのであり、それに対して英語しか解さないアメリカ人乗客の目には、わけのわからない言葉で恫喝しながら自分たちを未知の運命に引きずっていこうとする犯人は、もっぱら恐怖の源泉として映る。先日の日本での地上波放送版では英語の台詞だけが日本語に吹替えられており、一部アラビア語に字幕はついているけれどほとんどのアラビア語台詞は字幕・吹替え無しだ(字幕がつく台詞も乗客に聞かれていない操縦室内の会話の一部に限られている)。私が感じた「ヤバさ」は、恐らく現実そのもののコミュニケーション・ギャップが生み出す恐怖感の「ヤバさ」なのだろう。
 ものすごくノンフィクションテイストです。
 テロリストがアラビア語(多分)で話してるところに、字幕なんてはいらないものね。だもんで、飛行機に乗っていた人たちの、わけのわからないことが起きてる恐怖、っていうのがずっしりときました。
 唯一わかる「アッラーアクバル」が…(落涙)

*読書記録* 2008/3/17「DVD【ユナイテッド93】」

 そして、このようにリアリズムに徹するからこそ、観客の私たちは『ユナイテッド93便の乗客たちがやがて意を決してテロリストに立ち向かっていくまでの「心の流れ」』だけでなく、その後のアメリカ国民の「心の流れ」、つまりわけのわからない言葉をまくしたてて攻撃してくる“やつら”に対する恐怖感と、それ故に“やつら”を攻撃することは正当な自衛行動なのだと考える心理をもまた追体験できてしまうのだ。本作品は高い評価を受ける一方でプロパガンダ的だと非難されることもあるみたいだけど、この正反対の評価は恐らく同じ源泉に発しているのだと思う。現実において私たちの感じる“わけのわからない他者”への恐怖感をこの映画が映像で見事に再現していることが、両方の評価を生み出しているのだ。

 911同時多発テロの後にアメリカ人が囚われた心理状態の一端の現われについては、今でもネット上で確認することが出来る。
「NEWGROUNDS」という老舗のFLASH作品投稿サイトがあるのだが、911直後にこのサイトに投稿された作品には、911の犠牲者を悼むというスタイルのFLASH作品の他に、「ビンラディンやタリバンの連中をぶっ殺す」FLASHゲームやムービーが多数存在する(*01)。対イラク戦争開戦前後からは、サダム・フセインをとっちめるゲームやムービーも増えた。
「NEWGROUNDS」自体は別にこういうのだけを扱っているわけではなく、他にも政治ネタのFLASH作品が多数公開されているのだが(*02)、こうやって“やつら”を攻撃して溜飲を下げる類の時局的な作品がたくさん寄せられていたというところに、当時のアメリカ人が抱いていた恐怖感やそれによってドライブされた攻撃的・排斥的な心理を垣間見ることが出来るんじゃないだろうか。

 ブッシュ大統領は就任一年目から911テロという一大事に直面し、それ以降二期8年間に渡ってずっと「テロとの戦い」やイラク戦争に関わり続けた“戦時宰相”のような存在ではあったが、彼の政策はしばしば国内外から厳しい批判を受け続け、その間にアメリカ合衆国に対する評価もだいぶ様変わりしたような感がある。先の大統領選挙では、リベラルな政治主張を掲げてブッシュ政権の政策からの完全な転換を標榜している民主党のオバマ氏が当選し、今後はこの8年間とはまた異なった展望も見えてくるのかもしれないが、これまでの8年間を振り返る上で、その起点にあったアメリカ人大衆の恐怖心を手軽なFLASHゲームの山の中に見いだすのも、また興味深いことじゃないかと思う。……さ、他のゲームもやろうっと。

  • (*01) 今は撤去されているみたいだけど"Bin Laden Liquors"も前はNEWGROUNDSにあったんじゃなかったっけ。ゲームが不得手な私でも手軽に遊べるシューティングとして、暇な時にちょくちょくプレイしていたことがある。
  • (*02) それ以外のFLASH作品もたくさんあるので、ヒマ潰しに軽いゲームをしてみようかと思う人はあちこち探してみよう。

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