電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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ことば (2008年11月14日)

 ただの思いつきメモ。

 ことばには、個人的な側面と社会的(共同体的)な側面の両方があります。ことばについて考える時には、状況や論点によってこのどちらか一方の側面に考察を集中したり、どちらかに重点を置きつつ両方を観たりします。ただし、同じ「ことば」の現象であるからと言って、この二つの側面を不用意に混同してしまうと、話がややこしくなってしまうことがあります。
 私はこの両側面を、「行為」と「行為を可能とする条件」の関係で観たいと思っています。
 ことばを作り出して発するという行為は、あくまでも個人の思考のイニシアチブにおいて為されるものであり、誰もことばを作ろうとしないところではいつまで経ってもことばは現れません。このブログも、私のイニシアチブによって「ここにことばを書く」という行為が実行されることによって初めて成立するものであり、この行為が無ければこのブログはそもそもの最初から存在しません。ことばの個人的な側面とは、ことばが生成されるプロセスそのものを指しています。
 一方で、私がことばを使うためには、それに先立ってことばの使い方をある程度知っていなければなりません。でも、私はことばの使い方をすべて自分ひとりで編み出したのではなく、誰かによって既に生み出されていた語彙や文法や統語規則をアレンジしながら使っているだけです。またこの“誰か”、つまり私に先立って、あるいは私と共に存在する他者によってことばが使われ続け、そのことば空間の中で私のことばもまた理解されうるという期待があって初めて、私は自分のことばを生成し送り出すモチベーションを得ることが出来ます。ことばの社会的な側面とは、私がことばを生み出すのを可能としている諸々の条件を指しています。
 こうして発せられた私のことばは、私自身にとっては個人的な側面を見せていますが、私以外の他者にとっては社会的な側面において現れます。他者から観れば私もまた他者の一人になるわけですから、そこでの私のことばは「外から与えられるもの」であり、その人は私のことばを、「誰かによって既に生み出されていた語彙や文法や統語規則」の積み重ねを成す無数のことばのひとつとして受け取ることになるでしょう。なお、ここでの私と他者との関係は、今の自分と過去の自分との関係として立ち現れることもあります。
 ことばがひとりの占有物ではなく社会の共有物であるという観念と、ことばの生成プロセスはただひとりの作者に収斂されるという一見相反するような観念との並立は、行為とそれを可能とする条件(行為からのフィードバックによる条件の変更を含む)との間での相互活動という図式によって、ある程度整理することが出来ます。
 ただし、行為の可能条件に当たることばの社会的側面は、それぞれの行為者(ことばを発する者)によって異なる外延を持っており、不特定多数の外延を斉一的に捉えることは出来ません。公教育における国語教育とは、行為の可能条件となることばの使い方一般において、国民生活の運営において必要不可欠と見なされる最低限の共通基盤(ナショナル・ミニマムに似ています)を不特定多数の万人に共有してもらうことで、この外延の最低ラインを全国民レベルで保証しようとするアプローチであると言えます。しかし、どのような外延が必要不可欠と見なされるのかは時代や立場によって様々であり、どの程度の強度で求められるのかという要請も異なってくる上に(今の時代に学校で「方言札」を使えばかなり大きな問題となるでしょう)、情報環境の変化等に伴って公教育以外のところで人々が社会的共有物としてのことばを習い覚えていく有り様にも変化が生じるので(この習得プロセスは幼児が親から最初の言葉を聞き始める時点から既に始まっています)、万人におけることばの外延の不斉一性を公教育のみに帰責するのはちょっと無理がありそうです。子供の頃に夢中になった英雄が鞍馬天狗や牛若丸なのか、それとも麦わらのルフィや仮面ライダー電王なのかといった、一見すると些細な違いのように思えるものが、ことばの外延を形成する上で意外な役割を果たすこともあるのではないでしょうか。

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