電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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マキアヴェリスト≠リアリスト? (2008年11月08日)

 なんとなく今日つらつらと読んでいた本からメモ。
 マキアヴェッリは通常リアリストと言われる。その趣旨は政治における力の契機を強調し、人間の非理性的、野獣的側面を処理すべく議論を展開した点にあるであろう。しかし彼が眼前の現実を追いかけまわすという意味での、いわゆるリアリスト(現実主義者)であったというのであれば、それは明瞭な誤解である。彼のarte dello statoは無原則にいわゆる現実に適応することを勧めるものではない。マキアヴェッリの眼からすれば、後者の如き態度は運命に自らを委ねるものであろう。畏友グイッチャルディーニが指摘したように彼の議論ははなはだドグマチックであり、statoの拡大という目的を徹底的に追求するものである。それは当然多くの犠牲とリスクを伴う、リゴリズムを内に秘めていた。マキアヴェッリはその要求がキリスト教的倫理といかに矛盾衝突するかを十分察知していた。その意味での規範的性格は疑うべくもない。それは一つの「空想的」プランであると言ってもよい。したがって現実になりうるプランではあったが、現実そのものではなく、常にその批判的原理として作動している。……

(佐々木毅『近代政治思想の誕生 ── 16世紀における「政治」』岩波新書、1981年、p.72-73)

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