電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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経験論的思索者としてのオーウェル (2008年10月18日)

 エドワード・サイードが米コロラド州ボールダーの地域ラジオ局KGNUのインタビュー番組に継続して出演していた時の記録『文化と抵抗』(ちくま学芸文庫、2008年)を読んでいたのですが、その中でサイードは、小説『1984年』等の作者ジョージ・オーウェルについて、現実の政治プロセスに対するオーウェルの批判的精神を評価しつつも、状況に対する自分なりのオルターナティブを表明していないことをオーウェルの限界として捉えていたようです。
……彼は豊かな才能に恵まれた観察者で、極限的な苦悩の状況へと引き寄せられてゆきます。たとえば『ウィガン波止場への道』のなかで彼が書いている炭鉱夫たちの悲惨な状況など、まさに彼が魅せられてゆくものです。彼は、資本主義下における人間の悲惨さについて、詳細に書ききった最初の作家のひとりです。しかし彼はまた自分で記述している対象からつねに距離を置いている人間でした。オーウェルが、なんらかの運動に関係した記録というのは、『カタロニア讃歌』以外にみあたりません。(略)彼の書いたものには、不正を鋭く暴く意識と、人間嫌い的感情とが、およそ魅力的でないかたちでむすびついています。……

(エドワード・W・サイード、デーヴィッド・バーサミアン『文化と抵抗』大橋洋一他訳、ちくま学芸文庫、2008年、p.256-257)

 最近の日本では小林多喜二の『蟹工船』がリバイバルヒットを飛ばしてちょっとした話題になりましたが、もしサイードが『蟹工船』とその執筆当時の時代背景を知ったら、果たしてどんな感想を持ったのでしょうか。
……オーウェルはまた極度にイギリス好きでした。彼にとって世界の中心はイングランドなのです。(略)

── イングランドは彼の世界の中心でしたが、彼はまた帝国の機能についても批判的姿勢をとりました。彼はビルマでの経験について書いています。ビルマで彼は警官として働き、絞首刑も目撃しています。

 ええ、彼は不正を暴いています。しかし、わたしにしてみれば、その暴き方が中途半端なのです。オーウェルを読んで彼が自由と解放の意志につき動かされていると思う人はいないでしょう。人びとを新しい機能の資源を与えるというよりは、暴露し攻撃することに力点が置かれています。彼は草の根運動にまったく触れたことがなく、自分が大きな政治的大義の推進者であるとも思ったことのない、そんな作家のひとりです。孤立感があります。また他者への人間嫌い的な憎悪感すらあります。それがもっとも明白にあらわれたのが『1984年』です。その世界では誰もが潜在的に敵となっているのですから。

── あのオーウェル最後の小説は、1949年に上梓されたもので、今日でも言及されることの多い作品です。なにしろブッシュ政権は市民の自由に攻撃を加え、永久戦争の時代が到来したと宣言しているからですが。

 これが、わたしたちの向かっている状況だと示した点で彼は正しかったと思います。しかし彼は、そうした状況に対するオルターナティブを提示していません。オーウェル的ヴィジョンは、荒涼として限界のあるものです。彼が、わずかながらでも希望を抱き、解放を夢にみて、批評活動に従事し、民衆との連帯あるいは非血族関係(affiliation)に関与するとは思えません。人間の進歩という思想は、彼のヴィジョンの埒外にあるのです。

(『文化と抵抗』p.257-258)

 この『文化と抵抗』の別のところでサイードは、イスラエルに対するパレスチナ人の抵抗の精神的な拠り所としての「記憶」の重要性を強調しています。
── チェコの作家ミラン・クンデラは、その小説『笑いと忘却の書』のなかで、こう書いています ── 「権力に対する人間の闘いは、忘却に対する記憶の闘いである」と。

 わたしがいまおこなっている講演でとくに強調しているのは、パレスチナ人の経験における記憶の重要性についてです。組織化された記憶ではありません。わたしたちは国家をもっておらず、組織化された中心的な権威になるものをもっていないからです。ただパレスチナ人の家庭をのぞいてごらんなさい。1948年以後の第三世代の家庭でいいのです。かつて暮らしていた家屋の鍵の束、手紙、権利書、証書、写真、新聞の切り抜きなどがみつかるはずです。わたしたちの生活が比較的健全だった時代の記憶を維持するために保管されているのです。記憶は、アイデンティティを維持するための強力な集団的装置です。それは公式の物語や文献をとおしてのみならず、非公式の記憶をとおしても継承されうるのです。それは歴史による抹消の浸食を食い止める防波堤のひとつです。それは抵抗の手段です。

(『文化と抵抗』p.253-254)

『1984年』の筋立てを知っている人がこの部分を読むならば、上記のオーウェル批判に見られる態度とはやや異なった、サイードの意外なオーウェル親和性の高さを感じることでしょう。記憶と忘却の政治的意義は、『1984年』においても重要なファクターとして取り扱われているからです。有名なところでは過去の記録が党の意向によって常に書き換えられ続けているというプロットが挙げられますが、もっと微細なところでも、例えば主人公ウィンストンがスラム街の居酒屋に入っていった時の描写に、「非公式の記憶」の印象深い光景が見られます。
……彼が後をつけた老人はバーのところに佇み、並み外れた大きな二の腕を持つ、肥って鉤鼻をした大男の若いバーテンダーと何か口論をしていた。ひと塊の客が手にグラスを持ったまま二人を囲むように佇み、その光景を眺めやっていた。
「わしは丁重に頼まなかったかい?」老人は肩を怒らせて喧嘩腰に言った。「お前さんは、このろくでもない店に1パイントジョッキはねえっていうのかい?」
「一体そのパイントってえのは何ですか」バーテンダーは身を乗り出して指先をカウンターの上にそろえた。
「みんな聞くがいい! この男はバーテンダーだといいながら、パイントのこたあ知らねえとさ。いいかね、1パイントは1クォートの半分で、4クォートは1ガロンじゃ。こんど来たらABCでも教えなくちゃなるまいて」
「いっぺんも聞いたこたあないですよ」バーテンダーは無愛想に答えた。「1リットルと半リットル──それだけでさあ、この店にある量目は。目の前の棚に、ちゃんとグラスがのっかってるでしょう」
「わしは1パイントだけほしいのじゃ」老人は頑固だった。「わけもねえこった、1パイントのビールをはかるのは。わしの若い時分には、こんなやくたいもねえリットルなんかなかったぞ」
「あんた方の若い頃は、みんな木の上に住んでいたんじゃないですか」バーテンダーは他の客をちらりと眺めやった。
 爆笑がわいた。……

(ジョージ・オーウェル『1984年』新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年、p.112)

 この下りをただひたすら字義どおりに眺めただけだと、パイントやガロンといったヤード・ポンド法の度量衡単位に日常的に接していない日本人(もちろん私自身を含みます)にとっては、単なる時代遅れの老人の世迷い言にしか見えないかもしれません。しかし、オーウェルがこの描写をわざわざ作中に配したのは、権力意志による過去の記憶の合理主義的な抹消(*01)と、記憶によって継承される生活文化の消滅とがパラレルな関係にあると捉えられたからでしょう。どんな分野であれ合理的な全体秩序としてトップダウンに理想的社会像を構築する捉え方を、オーウェルは現実から遊離した態度として批判的に捉えているのです。
 社会主義運動に対して常に好意的であったオーウェルは、一方でその現実の政治的実践における現れについては批判の手を緩めていません(『カタロニア讃歌』『動物農場』)。冒頭の引用にあるサイードの見立てとはやや異なり、オーウェルはこの世界がよりよいものへと進化していくべきであるという理念を決して放棄はしていなかったと私は思いますが、一方でその理念はオーウェルにおいては社会全般を直接的に捉える理想主義という形を取らず、どちらかと言えば漸進的な改良主義に近い立場を取っているため、傍から見ればオーウェルの態度が孤立感や無力感、時には「人間嫌い」に近い内向的な姿勢の現われに見えることもあるのでしょう。
 チャールズ・ディケンズを穏健なモラリストとして論じた作家評に、オーウェルのこうした資質が端的に表れています。
 彼の過激思想はあいまいきわまるものだが、それでいて片時も忘れられない。そこがモラリストと政治家のちがいなのである。べつに建設的な提案があるわけでもなし、それどころか自分が攻撃している社会の本質さえ明確に理解してはいない。ただ情緒的に、何かがまちがっていると感じているだけなのだ。彼に言えるのは結局「道徳からはずれるな」ということでしかないのだが、実はすでに述べたように、これはかならずしも見かけほど浅薄なものではないのである。たいていの革命化は潜在的保守主義者(Tory)である。なぜならば、社会の形態さえ変えれば万事が改革されると空想しているからだ。そして往々にしてこの変革が達成されると、それで事たれりとしてしまう。

(ジョージ・オーウェル「チャールズ・ディケンズ」、『オーウェル評論集』小野寺健編訳、岩波文庫、1982年、p.139-140)

 岩波文庫『オーウェル評論集』(1982 小野寺健編訳)にはこの「チャールズ・ディケンズ」の他にヘンリー・ミラーを論じた有名な「鯨の腹の中で」も収められています。そのエッセイの中で、オーウェルは、いかなる社会変革の思想も、個人の「主観的真実」を掘り下げた作家の誠実さには勝らないことを示しました。それは無力でありながら決して目を閉じないで見つめているそのような作家の誠実さです。

憂愁書架 2005/9/14「ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集』」

 オーウェルの「イギリス好き」は、イングランドが世界の中心であるというエスノセントリックな意識というよりも、むしろ自己の手に届く範囲のことからまず考えをスタートさせるという態度の表れであり、主観を超越した全体的な俯瞰から社会の改良を唱える意見に対してはとりあえず懐疑的視点を確保しておくという、経験主義的な姿勢に由来しているものなのではないかと私は思います。こういったオーウェルの姿勢は、特段の理由がない限り伝統を変えることを良しとしないイギリス人の保守性と呼ばれるものや、イギリスでロック・バークリー・ヒュームといった経験論哲学の系譜が育っていったことと、通底したものであるようにも見えます。社会全体に対する俯瞰的考察を先行させて「社会の形態さえ変えれば万事が改革される」と考えるのではなく、社会を考える時にもまずは自分自身を反省的に捉え返すところから始めること、国際単位系を無視して1パイントにこだわるような心性に似たものが自分自身にもあるのではないかという地点から始めること、その上で非合理的な生活文化を単純に肯定あるいは否定すべきものとして一括するのではなく、そうした無数の生活実践の積層として自分や他人やその集合としての社会全体を帰納的に捉えていくこと、そこからスタートしない限り話はいつまで経っても憎悪の投げ合い以上のものにはならないということを、オーウェルは常に強調し続けてきたのではないでしょうか。
……要するに現代文明には何か心理的なビタミンとでもいったものが欠けているのである。だからこそ誰もが、多少ともある人種あるいは民族全体を善だとか悪だとかいう、非合理的なことを信じる狂気に走るのだ。現代の知識人は自分の心の中をこまかく正直に検討してみるがいい。そうすればかならずナショナリズム的な忠誠心やなんらかの憎悪がひそんでいるのに気づくはずである。こういう問題になると感情的になるものだが、それでも冷静に、ありのままの姿を見ることはできる──それでこそ知識人と言えるのだ。したがって、ユダヤ人差別について検討しようとするのなら、「なぜあきらかに非合理なこんな信念が世間の人びとの心をとらえるのだろう?」とは考えず、当然、「なぜユダヤ人差別思想はわたしの心をとらえるのだろう?」という疑問から出発しなければならないわけである。……

(オーウェル「英国におけるユダヤ人差別」、『オーウェル評論集』p.274-275)

 パレスチナ近現代史においてイギリス外交が果たした役割を考えれば、オーウェルの「イギリス好き」がサイードに不快感を抱かせるのも無理からぬことであるとは言えますが、恐らくサイードにとっての「パレスチナの記憶」とほぼ同じ機能的意義を、オーウェルにとっての「イギリスの記憶」は持っていたのではないでしょうか。「状況に対するオルターナティブ」の立脚点は、サイードにおいては「かつて暮らしていた家屋の鍵の束、手紙、権利書、証書、写真、新聞の切り抜きなど」にあり、オーウェルにおいては失われていく「1パイントジョッキ」の記憶にあるのです。


【関連】
 2007/1/8「写真と記憶」

  • (*01) 例えば、オセアニア国の戦争の相手がユーラシアからイースタシアへ、あるいはその逆へと変化する度に、過去に関する記録は完全に改竄されます。オセアニアがユーラシアと同盟を結んでイースタシアと戦っている間、公式の記録(=集団的記憶)においてオセアニアは過去から未来永劫に渡って常にイースタシアを絶対的な敵としているのでなければならず、イースタシアを同盟国としていた頃の記録はすべて現状と矛盾した「誤った」ものであるからです。党は常に無時間的・超時間的・アプリオリに「正しい」という形で、合理的な斉一性原則によって世界を認識することを政治においても貫徹するならそういうことにならざるを得ないというオーウェルの見方がここに現われています。

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