電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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子安宣邦「福沢諭吉『文明論之概略』精読」 (2008年10月13日)

 子安宣邦「福沢諭吉『文明論之概略』精読」(岩波現代文庫、2005年)を読んでいました。
 タイトルの通り福沢諭吉の『文明論之概略』についての本なのですが、単なる概説や言い換えではなく、ここで福沢の展開している議論が執筆当時の時代背景を踏まえた論争的・時局的な性格を強く持っていることを強調して、当時の時代背景という文脈に定位した場合にこの著作の記述がどのような意義を持っているのかを読み解いています。また随所で丸山真男の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書、全3巻)にも言及されており、丸山が福沢の議論を西欧近代についてのスタティックな理論的思索として読み解いていることへの疑義が提示されています。
 子安によれば、明治日本の代表的な啓蒙的思想家である福沢は『文明論之概略』において、西欧型の文明のあり方をそれ単独で論じているのではなく、王政復古以来の政論が天皇の王権による徳治主義に期待する方向へと傾いていることを危惧して、その風潮に対する批判的意図を強く込めていたそうです。そのため福沢は、議論の中で「文明」と「野蛮」とを対比させて論じており、しかも「野蛮」に対する否定的言及をしばしば「文明」に先行して詳述するため、二項対立によって「文明」の意義を浮かび上がらせるという図式が強く出ているのだそうです。
 子安の議論から浮かび上がってくるのは、日本が欧米型近代社会へと急速に変貌する起点となった明治維新が、実際には近代への“進歩”だけでなく“復古”への契機をも併せ持っており、福沢は『文明論之概略』において前者の立場に立ちながら後者を批判しているのですが、この後者の契機が後世の論者にはしばしば見失われがちであるということです。言葉尻では「王政復古の大号令」という単語を知ってはいても、それが明治以降の日本の政治・社会制度において実際にどう作用していたのかは、単語だけでは見えてきません。私自身も、明治以降と言えばつい「近代化」や「欧米化」といった単線的・直線的な“進歩”のイメージで捉えがちなのですが、王政復古によって皇統を政治プロセスの頂点に一元的に配置することは、市民的自由の拡張やそれによる政治・社会制度の全般的向上をもって「近代化」と為す福沢のような人から見れば、明治政府の方向性はむしろ専制的な王権支配へと“逆行”することだったのでしょう。

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