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ノイラートの船 (2008年10月12日)
- 伊東乾の「常識の源流探訪」−「日本にノーベル賞が来た理由 幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死」日経ビジネスオンライン 2008/10/10
- はちすのみ 2008/10/11「留学生との会話、日本に来たノーベル賞、そして最近頭の中にあること」
今年のノーベル物理学賞・化学賞における日本人受賞ラッシュがちょっとしたお祭り騒ぎになっていますが、その中で上記の記事を読んでいて、ちょっと連想したこと。
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論理実証主義で有名な戦間期の科学者・哲学者グループ「ウィーン学団」の一人でもあったオットー・ノイラートは、人間が知識を獲得するプロセスを「船」に例えています。
ノイラートの船 (のいらーとのふね Neurath's boat)
ウィーン学派の中心人物の一人、オットー・ノイラート(1882-1945)が『アンチ・シュペングラー』(1921) で用いた比喩。彼によれば、知識の総体というのは港の見えない海上に浮かぶ船のようなもので、そのような状態でなんとか故障を修理しつつやっていかなければならない。「われわれは船乗りのようなもの--海原で船を修理しなけばならないが、けっして一から作り直すことはできない船乗りのようなもの--である」。
この比喩は、知識に関する基礎づけ主義を批判して用いられている。すなわち、基礎づけ主義によれば、ある批判不可能な土台(となる命題)があり、その上に建てられた体系(諸命題)も、土台から論理的に導かれているかぎり批判を受けつけないものである。これに対し、ノイラートの船の比喩が含意しているのは、知識には土台は存在しないこと、また、全体が沈んでしまわないかぎり、部分的にはどの部分であっても修理をすることが可能であることである。
(http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/neurath's_boat.html)
この例え方が既に論理実証主義の思考に対して批判的な視座を提供しているのは面白いところです。
……伝統的科学哲学の支柱となっていたのは、知識の基本単位は個々の「命題」であり、知識の担い手は科学者に代表される「合理的個人」である、という前提であった。そこから科学哲学の目標は、合理的個人が無知の状態から出発して、いかにして命題を正当化して知識を獲得するかを解明することに定められる。クーンによれば、これは科学を「ワンマンゲーム」とする見方であり、その背後にあるのは「方法論的独我論」にほかならない。
それに対して彼は、「歴史家は当然、科学というものを連続的な一過程として、つまり知識の獲得が無から始まる開始点、というようなものを一切もたない過程として見ています。科学の発展の叙述はすべて、すでに進行している科学の過程とともに、その流れの半ばから始められます」と述べている。これは言うまでもなく、ノイラートに由来し、クワインによって流布された「ノイラートの船」と呼ばれる比喩を下敷きにした発言であろう。つまり、知識論という観点から知識−信念体系を一隻の船になぞらえるならば、われわれはすでに大海に乗り出した船の上でそれを改造せねばならない船乗りのようなものであり、港のドックに戻って最初から船を造り直すことはできない、というたとえである。
それゆえ、科学者は白紙状態から個人的に研究を始めるわけではなく、集団にとって支えられてきた研究実践の長い伝統の「流れの半ばから出発する」と見なされねばならない。科学研究は、その意味で「ワンマンゲーム」ではなく「社会的実践」なのである。社会的実践である以上、知識や信念の担い手は個人から科学者共同体へと移行する。しかも、現時点で受け入れられている知識や信念は伝統として引き継がれてきたものであり、それらが共同体の研究実践を構成する中心的な要素であることから、知識獲得において問題になるのは単純な論理的正当化の手続きではありえない。知識の正当化のプロセスを解明するには心理学、社会学、文化人類学といった隣接分野の協力が不可欠となるのである。
(野家啓一『パラダイムとは何か クーンの科学史革命』講談社学術文庫、2008年、p.278-279)
もっとも、これに類する発想はすでにニュートンの時点で(あるいはそれ以前から)存在したようです。
「巨人の肩に乗って」というのは,かのニュートンが語ったと言われるお言葉です.私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。--ロバート・フック宛書簡、1675年2月5日(ユリウス暦、グレゴリオ暦では1676年2月15日)
If I have been able to see further, it was only because I stood on the shoulders of giants.
アイザック・ニュートン (Wikiquote)
自分の功績は偉大な先人の功績の上に乗っかったからこそ可能だったという,科学者にとって不可欠な謙虚な姿勢を表現したお言葉です.
でも逆に言うと,科学の世界で一人前になるためには,過去の巨人達の肩の上まで自力でよじ登らなくてはならないわけです.今までの科学の成果は,巨人の肩の上に巨人が乗って,その上にまた巨人がのって……てな感じで積み重ねられてきたわけですから,科学の世界で意義のある成果を残すためには,何人もの巨人が積み重なった組体操の頂上までよじ登る必要があります.もちろん,よじ登った後は,自らも巨人(とは限らないが)の一人として組体操に加わり,後から登ってくる後輩を肩で支えてやらなくてはなりません.
(セキュリティ&コンサドーレ札幌 2008/7/25「巨人のお姫様だっこ」)
http://en.wikipedia.org/wiki/Standing_on_the_shoulders_of_giants
ライバルであるロバート・フックあての1676年2月5日付けの手紙だそうです。
ただし、この言葉はニュートンの独創というわけではなく、1159年にすでに引用の形で残っているとのこと。シャルトルのベルナールいわく、われわれは巨人の肩に乗った小人のようなものだ。当の巨人よりも遠くを見わたせるのは、われわれの目がいいからでも、体が大きいからでもない。大きな体のうえに乗っているからだ。
1159年、ソールズベリーのヨハネス
http://www.moriyama.com/1999/sciencebook.99.11.htm#sci.99.11.09
(人力検索はてな「ニュートンの有名な言葉「巨人の肩の上に〜」について、その典拠を調べています。ニュートンはどの書物のどの部分でそう言ったのか、知りたいです。」)
ノイラートの船の例えは、歴史の積み重ねによって知識が集積されていくプロセスを、一人一人の乗客にはその出港地も到着点も知り得ない巨大な船として描き出します。一人一人の個人=船員の営為は船を動かすのに必要な動力を提供はしますが、その動力によって終局的に船が何処に辿り着くのかについては、個々の船員がそれを知ることは決してできません。一人一人の船員は、常に途中から(生誕の、あるいは知的活動への参画の時点で)この航海に加わって、途中で(死の時点で)この航海から去っていきます。ある特定の船員は途中から乗船して、過去において無数の船員によって継承されてきた航海の過程を引き継ぎながら自分自身で船を前に進めるのですが、やがて時至れば未来の船員に航海を引き継いで、自分自身は下船していくのです。船の立場からこのプロセスを見るならば、時と共に船員は入れ替わっていきますが、その時々の船員によって航海は常に過去からの継続として行われ続けていくことになります。
巨人の肩に乗って、過去の誰よりも遠くまで見渡すような成果を上げた人もまた、いつまでも自分が頂点に立ち続けるわけではなく、やがて他の人が自分の肩の上に乗って、より遠くを見渡す成果を上げる(=自分自身を凌駕する)ことを期待することになります。マックス・ウェーバーは晩年の講演において、このことを学問に携わる者が背負うべき宿命として提起しました。
……学問のばあいでは、自分の仕事が十年たち、二十年たち、また五十年たつうちには、いつか時代遅れになるであろうということは、だれでも知っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である。いな、まさにここにこそ学問的業績の意義は存在する。たとえこれとおなじ運命が他の文化領域内にも指摘されうるとしても、学問はこれらのすべてと違った仕方でこの運命に服従し、この運命に身を任せるのである。学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。(略)われわれ学問に生きるものは、後代の人々がわれわれよりも高い段階に到達することを期待しないでは仕事をすることができない。原則上、この進歩は無限に続くものである。
(マックス・ウェーバー『職業としての学問』尾高邦雄訳、岩波文庫、1980年、p.29-30)
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益川さんのインタビューがいろいろ話題をまいていますが、とりわけ「ちっともうれしくない」「南部先生が受賞されたのは本当によかった」などと述べておられる背景は、知っている物理屋にはあまりによく分かりすぎる事情が存在しています。それにはノーベル財団の「大失策」が関係しているのです。
……
1938年生まれのフェールさんと39年生まれのグリューンベルクさん、2人とも今もお元気だと思いますが、この1年の間に1人の日本人科学者が命を落としました。戸塚洋二博士(1942-2008.7.10)です。戸塚さんこそ、ノーベル賞をもらわないわけにはゆかない人でした。彼のボス、小柴昌俊氏に2002年にノーベル賞が出たのは、1998年に小柴研の後継者である戸塚さんたちが「ニュートリノ振動の観測」に成功した、20世紀最後最大の業績に対するノーベル賞授与の準備、布石と誰もが理解していました。
「ニュートリノ振動」について詳しくは記しませんが、「ニュートリノ(中性微子)」と呼ばれる微小な素粒子に質量があるか、ないかによって、私たちの住むこの宇宙全体の構造モデルの理解まで変わってくる、本質的な大問題です。
戸塚さんたちのグループは1998年、「ニュートリノに質量がある」ことを、世界で初めて示しました。これこそが物理学賞史上に永遠に残り、あらゆる教科書に記される本当の大業績にほかなりません。
……
こうしたプロジェクトの言いだしっぺは小柴さんですが、本当に粉骨砕身で努力されたのは戸塚さんたち小柴研のスタッフでした。ところが、そもそも計画をし、装置を作るまでの責任者だった小柴さんにはノーベル賞が出ましたが、本当に賞を授与すべき大業績、この装置を使って得られた「ニュートリノ振動の観測」を、ノーベル財団は永遠に顕彰する機会を失ってしまったのです。
(略)
ただここで、もうひとつ挙げておかねばならない決定的な人物がいます。それは「与えられなかったノーベル物理学賞」ニュートリノ振動を理論的に予測した物理学者です。実はその人もまた、日本人だったのです。坂田昌一博士(1911-70)は京都大学で湯川・朝永振一郎の3級ほど下に当たり、湯川さんの第2論文以後の共著者として、純日本発の素粒子理論、強い相互作用の「2中間子理論」の問題を解決し、1950年代から、いつノーベル賞を受けてもおかしくない大物理学者でした。その坂田博士が1962年、やはり亡くなった牧二郎先生(1929-2005)などと共著で予言したのが「ニュートリノ振動」なのです。
つまり、戸塚洋二さんが受け損ねた「ニュートリノ振動」は、実験はもとより、理論的な予言から、何から何まで日本が決定的なイニシアティブを取って世界をリードした、物理学上の最大問題の1つだったわけです。ところがこれを、ノーベル財団は結局、きちんと顕彰することができなかった。普通に科学を知る良識層はすべて、これを「ノーベル賞の失策」と見ますし、選考委員会もいろいろ考えざるを得なくなります。かくして、今年のノーベル物理学賞は日本の素粒子物理に、という不可避の方向性が固まっていくわけです。
(「日本にノーベル賞が来た理由」)
冒頭の日経ビジネスの記事では、今回の物理学賞に際して決定的な寄与をしていながらノーベル賞として「形」を遺すことのなかった業績が紹介されていますが、私はノーベル財団の「失策」もさることながら、世代や人をまたいだ継承によって全体としての業績を積み重ねていく科学研究の営為の中で、特に大きな業績とされるものをその系譜の一プレイヤー(=“ノイラートの船”の一船員)という集約点において個人的に顕彰するというノーベル賞のスタイル自体に、そもそも限界があったのではないかと思います。これはなにもアルフレッド・ノーベル個人やノーベル財団のせいばかりではなく、そもそも世代を超えた蓄積としての業績を個人に集約して顕彰するという行為においては、ノーベル賞であれ他の何の賞であれ必然的に付きまとう限界ではないでしょうか。巨人の肩の上に乗った人に賞を授けるべきではないか、いやいやそれなら肩を提供した巨人に対してこそ、いやいやそれならむしろ巨人の足腰を立たせるためのエネルギーを提供した人については……と、総体としての科学知識の体系ではなくその中のプレイヤーに業績を集約させる場合には、どこかで業績の世代間・研究者間継承という因果関係の連鎖や複数の研究者による研究の分業・共働関係を切り分けて、誰か特定の個人を発見や創造の“第一原因”に仮構する必要が生じてしまいます。
顕彰すべき個人の特定にまつわる困難はこれだけに留まるものではなく、顕彰する側の認識の限界もまた要因として働きます。むしろ、ノーベル財団が過去の「失策」を今回のような形で多少なりとも取り返そうとしたこと自体が、顕彰者の個人レベルではなく全体としての科学者共同体の対応方法を示しているとは言えないでしょうか。個人としての研究者に対する顕彰の機会を失ったという“反証”を受けて、科学者共同体はそれまでの受賞者プロファイルの総合という全体的認識に対して、今回の「日本の素粒子物理への授賞」という“理論的補正”を付加したわけです。
このことは自然科学に限らず、法や経済などの社会諸科学をも含めた近代の客観的世界認識全体について言えることです。こういった客観的認識の進歩は原則として人類の“類としての”全体的進歩に寄与するものであり、この認識体系の全体、言いかえればノイラートの船そのものにとっては、認識を作り出した個々人(ノイラートの船に乗り組んだ個々の船員)の運命というのは、実はそれほど重要ではないということになります。何か“失策”があった時に、個人に対する事後の直接的な補償という形を常に取れるとは限らないのは、ノーベル財団においても一般的な立法・政治プロセスにおいても共通しています。
もちろん、科学もまた人間の営為である以上、こういった顕彰のプロセスが科学的世界認識以外の要因によって左右されることも珍しくありません、件の記事にある「中国人女性物理学者のノーベル賞排除」もその一例でしょうし、今回のニュースでさらに勢いを増したかに見える「“日本人の”ノーベル受賞者をもっと増やせ」などといった意見もそれに数えられます。後者の場合には単なるパトリオティズムの発露であることもあれば、「他国に先んじたイノベーションなくして日本は生き残れない」などといった技術ナショナリズムや国民経済学的主張に根差している場合もありますが、いずれにせよこの手の顕彰が科学的世界認識以外の要因によっても左右されるものであることを、こういった言説は傍証として示していると言えます。
ファイヤアーベントの「何でもあり "Anything goes"」という表現ほどには無軌道ではないにせよ、ノイラートの船は基本的に特定の帰港先を事前に示すことが出来ず、また途中経路においても航路選択を常に何らかの普遍妥当的法則に沿って事前に確定することが出来ない(法則自体の「パラダイム変換」がある)ために、出発地から目的地に向かって一直線に(または最短の大圏コースを通って)効率的に航行を進めることが出来ません。そして個々の船員が船の中で辿る運命は、必ずしも信賞必罰や因果応報などといった“正しい”取扱いをされるわけでもありません。一人の船員の前にどんな系譜があったのか、またその船員の“業績”が後からやってくる船員によってどのように顕彰あるいは否定されるのかは、その船員自身によって決めることが出来ず、船員はただ巨大な運命の中に翻弄されるのであり、船員の個人レベルにおける人生の理不尽は、船全体にとってはそれほど大きな問題とはなりません。
ウェーバーは先に紹介した「学問」講演の中で、文明人にとって死は無意味となったというトルストイの見解を引用し、職業的学問者の卵たる学生たち(聴講者)に対して、「無限の『進歩』の一段階をかたちづくるにすぎない文明人の生活」(p.34)という「時代の宿命に男らしく堪える」(p.72)ことを要求しています(ウェーバー自身はこのような「時代の運命」に対して個人的にはむしろ批判的なスタンスを取っていたという話もありますが)。あるいは、逆説的ではありますが、そのような宿命に対して「堪える」こともなく淡々としていられることが、しばしば研究者(=ノイラートの船の船員)としての資質には求められるのかもしれません。
もっとも歴史に残るような研究をする研究者本人は、そういった他人の思惑など気にしないだろう。研究成果の社会への還元は後付的なものであって、研究者を突き動かすのは彼、または彼女自身の好奇心であり、それが利己的なものであっても認められてしかるべきものであると思う。だから以下の文はとても印象に残った。特に「自然法則の根幹に触れた」という部分が。世の中では「ノーベル賞を取った」というと、大変な騒ぎ方をする。でも、本当に大きな仕事をした人は、みんなむしろ自分の内側に向かって謙虚で、自然界の真理に最初に触れることができた、という内的に深い満足を持っているものです。亡くなった戸塚さんの最晩年は特にそうだったと思います。
末期ガンで余命いくばくもないと自他ともに知りながら、戸塚さんは毎年ノーベル賞を待たれたと思います。でも、周りがやきもきするのと違って、ご本人は、人間が作り、人間が毎年決めるノーベル賞ごときを超えて、自分は自然法則の根幹に触れたという、揺るぎのない確信を持って、若者向けに自然科学の喜びを淡々と教えるような、充実した最晩年を送られ、静かに息を引き取られた。
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