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擬似問題 (2008年08月28日)
えーと、他意はないです(たぶん)。
……人間の行為を、目的−手段の連関による欲求充足プロセスとして捉えたとする。
A.まず最初に何らかの欲求が検出され、これが概念的に取り扱い可能な形で定義される。
B.次に、その欲求が充足された状態が仮構されて、これが目的として定義される。
C.その次に、この目的を達成するための手段が設計・構築される。
これに続いて、Cで設計・構築された手段を実行するフェーズではこの順序が反転し、実行の結果としてBの目的が達成されたかどうかが測定・判断される。手段が目的を達成する上で必ずしも妥当ではないとなれば、Cのプロセスで再度手段の設計・構築の見直しが行われることもある(PDCAサイクルというやつですな)。
いずれにせよ、このプロセスによってBで定義された目的が達成されれば、Aで定義された欲求は満たされたものとされる。もし満たされなければ、再度Bの目的を定義しなおして、新たな目的−手段連関の下に欲求充足プロセスが回される。
実にきれいな図式だ。「問題解決」型の思考は概ねこの流れが基本になっていると言っていいだろう。
そして、全体がきれいにまとまっているから、対象となる欲求/問題はこの図式においてすっかり把握され収まっているものと見なされてしまい、ここからすっぽり抜け落ちてしまう部分については、まったく視野に入らなくなってしまう。恐らく、このような目的−手段連関に把捉できないファクターは、きっちり定義して行為の連関プロセスに組み込むことが出来ないが故に、この問題系においては取り上げる必要の無い「擬似問題」と捉えられるのかもしれない。
『仮面ライダー電王』、第43話「サムシング・ミッシング」〜第44話「決意のシングルアクション」より。
時の流れを守るために「電王」に変身して怪物イマジンと戦っている良太郎は、4人の仲間のイマジン(モモタロスたち)とずっと行動を共にしてきた。でも、「電王」の目的が達成されて時の流れが完全に正常化すると、人間の時の流れを変えてしまうイマジンは消滅し、それと同時に苦楽を共にしてきたモモタロスたちも消滅してしまう運命にあることを、良太郎は知ってしまう。
モモタロスに自分自身を消滅させるための戦いを続けさせることは出来ないと思った良太郎は、モモタロスたちに「これ以上一緒には戦えない」と告げる。
人類を守るという目的に対して、良太郎は極めて強固な意志を持っている。「僕は迷えない、迷いなんかない」のだ。でも、その行為そのものがモモタロスたちを犠牲にすることと同義であると気付いた良太郎は、誰かを生かす行為と誰かを殺す行為(それこそが電王の機能的な行為目標であり存在意義だ)が表裏一体となっているジレンマに苦しむ。「こんなにモモタロスたちと一緒にいたいと思っているのに」、でも時の流れを破壊して誰かを犠牲にすることも出来ない。
こんな時、目的−手段連関のプロセスとして電王の活動を捉えるなら、良太郎の苦悩はまったくのナンセンスなのである。時の流れを守るという大目的が最初からはっきりと定義されており(これに対しては良太郎も「迷いなんかない」)、その大目的を達成するための手段(かつ小目的)として電王が敵イマジンを倒すという行為が提起される。そして、この手段/小目的を達成するためにもっとも効率的で合理的な手段(小手段?)は、良太郎がモモタロスたちイマジンの力を借りることである。いや単に合理的というわけではなく、むしろ必要不可欠な手段だと言える。何しろ良太郎一人では力が弱すぎて敵イマジンを倒すことなど到底できないということは物語の初めからくどいほど描写されており、番組開始当時の制作記者会見では主演の佐藤健がわざわざ「最弱ライダー」を強調していたほどだ。
・大目的……時の流れを守る
↑
・そのための手段/小目的……電王に変身して敵イマジンを倒す
↑
・そのための手段……モモタロスたちの力を借りる
しかもモモタロスたちは、良太郎/電王の戦いの目的が達成されることは自分たちが消えることと同義であることを承知の上で、それでもなお良太郎に力を貸そうとしているし、そのことを良太郎に対して関俊彦ボイスではっきりと言明している。この時点で、電王の活動における目的−手段連関に立ちはだかる障害はすべて消えている。良太郎は心置きなく電王に変身して、モモタロスたちと共に敵イマジンと存分に戦えるはずだ。
でも、良太郎はそう出来なかった。他ならぬモモタロス自身が「消えても構わない」と言い切っているにも関わらず、良太郎はそれをよしとすることが出来なかった。
何故だろう? 何故良太郎は、時の流れを守って人々を守ることについて固い意志を貫いているにも関わらず、そんなナイーブなことをいきなり言い出したのだろうか? 電王の活動を目的−手段連関のプロセスにおいて冷静に考えれば、良太郎の苦悩などは単なる「擬似問題」に過ぎないのではないか? 人々を救うことが大目的となっており、しかも他の手段が極めて限られている以上(ゼロノスは変身=カード使用に制限がある)、その大目的たる人々の命とモモタロスたちの命を“選別(トリアージ)”して前者を優先することはむしろ当然のことであり、良太郎の苦悩などはまるで意味を持たない、ナンセンスな感傷に過ぎないはずだ。
……それにも関わらず、私は良太郎の苦悩を「擬似問題」として退けることが出来ない。
冷静に考えれば、自分で決めた大目的を無視してその手段のフェーズで躊躇することなど、論理的・目的合理的にはまるで支離滅裂なただの回り道でしかないのに、私には良太郎の苦悩とその果てに見られた良太郎とモモタロスの固いハンドシェイクが、むしろ「これぞあるべき姿」としてすんなりと腑に落ちるのだ。
何故なんだろうね?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……人間の行為を、目的−手段の連関による欲求充足プロセスとして捉えたとする。
A.まず最初に何らかの欲求が検出され、これが概念的に取り扱い可能な形で定義される。
B.次に、その欲求が充足された状態が仮構されて、これが目的として定義される。
C.その次に、この目的を達成するための手段が設計・構築される。
これに続いて、Cで設計・構築された手段を実行するフェーズではこの順序が反転し、実行の結果としてBの目的が達成されたかどうかが測定・判断される。手段が目的を達成する上で必ずしも妥当ではないとなれば、Cのプロセスで再度手段の設計・構築の見直しが行われることもある(PDCAサイクルというやつですな)。
いずれにせよ、このプロセスによってBで定義された目的が達成されれば、Aで定義された欲求は満たされたものとされる。もし満たされなければ、再度Bの目的を定義しなおして、新たな目的−手段連関の下に欲求充足プロセスが回される。
実にきれいな図式だ。「問題解決」型の思考は概ねこの流れが基本になっていると言っていいだろう。
そして、全体がきれいにまとまっているから、対象となる欲求/問題はこの図式においてすっかり把握され収まっているものと見なされてしまい、ここからすっぽり抜け落ちてしまう部分については、まったく視野に入らなくなってしまう。恐らく、このような目的−手段連関に把捉できないファクターは、きっちり定義して行為の連関プロセスに組み込むことが出来ないが故に、この問題系においては取り上げる必要の無い「擬似問題」と捉えられるのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『仮面ライダー電王』、第43話「サムシング・ミッシング」〜第44話「決意のシングルアクション」より。
時の流れを守るために「電王」に変身して怪物イマジンと戦っている良太郎は、4人の仲間のイマジン(モモタロスたち)とずっと行動を共にしてきた。でも、「電王」の目的が達成されて時の流れが完全に正常化すると、人間の時の流れを変えてしまうイマジンは消滅し、それと同時に苦楽を共にしてきたモモタロスたちも消滅してしまう運命にあることを、良太郎は知ってしまう。
モモタロスに自分自身を消滅させるための戦いを続けさせることは出来ないと思った良太郎は、モモタロスたちに「これ以上一緒には戦えない」と告げる。
人類を守るという目的に対して、良太郎は極めて強固な意志を持っている。「僕は迷えない、迷いなんかない」のだ。でも、その行為そのものがモモタロスたちを犠牲にすることと同義であると気付いた良太郎は、誰かを生かす行為と誰かを殺す行為(それこそが電王の機能的な行為目標であり存在意義だ)が表裏一体となっているジレンマに苦しむ。「こんなにモモタロスたちと一緒にいたいと思っているのに」、でも時の流れを破壊して誰かを犠牲にすることも出来ない。
こんな時、目的−手段連関のプロセスとして電王の活動を捉えるなら、良太郎の苦悩はまったくのナンセンスなのである。時の流れを守るという大目的が最初からはっきりと定義されており(これに対しては良太郎も「迷いなんかない」)、その大目的を達成するための手段(かつ小目的)として電王が敵イマジンを倒すという行為が提起される。そして、この手段/小目的を達成するためにもっとも効率的で合理的な手段(小手段?)は、良太郎がモモタロスたちイマジンの力を借りることである。いや単に合理的というわけではなく、むしろ必要不可欠な手段だと言える。何しろ良太郎一人では力が弱すぎて敵イマジンを倒すことなど到底できないということは物語の初めからくどいほど描写されており、番組開始当時の制作記者会見では主演の佐藤健がわざわざ「最弱ライダー」を強調していたほどだ。
・大目的……時の流れを守る
↑
・そのための手段/小目的……電王に変身して敵イマジンを倒す
↑
・そのための手段……モモタロスたちの力を借りる
しかもモモタロスたちは、良太郎/電王の戦いの目的が達成されることは自分たちが消えることと同義であることを承知の上で、それでもなお良太郎に力を貸そうとしているし、そのことを良太郎に対して関俊彦ボイスではっきりと言明している。この時点で、電王の活動における目的−手段連関に立ちはだかる障害はすべて消えている。良太郎は心置きなく電王に変身して、モモタロスたちと共に敵イマジンと存分に戦えるはずだ。
でも、良太郎はそう出来なかった。他ならぬモモタロス自身が「消えても構わない」と言い切っているにも関わらず、良太郎はそれをよしとすることが出来なかった。
何故だろう? 何故良太郎は、時の流れを守って人々を守ることについて固い意志を貫いているにも関わらず、そんなナイーブなことをいきなり言い出したのだろうか? 電王の活動を目的−手段連関のプロセスにおいて冷静に考えれば、良太郎の苦悩などは単なる「擬似問題」に過ぎないのではないか? 人々を救うことが大目的となっており、しかも他の手段が極めて限られている以上(ゼロノスは変身=カード使用に制限がある)、その大目的たる人々の命とモモタロスたちの命を“選別(トリアージ)”して前者を優先することはむしろ当然のことであり、良太郎の苦悩などはまるで意味を持たない、ナンセンスな感傷に過ぎないはずだ。
……それにも関わらず、私は良太郎の苦悩を「擬似問題」として退けることが出来ない。
僕だって本当は戦いをやめて……でも僕は迷えない、迷いなんかない。
モモタロスたちが消えるかもしれないのに、僕はこの時間を守ろうって思ってる、今も。
何でかな……モモタロスたちが消えるのはこんなに嫌なのに。
(44話『決意のシングルアクション』より)
冷静に考えれば、自分で決めた大目的を無視してその手段のフェーズで躊躇することなど、論理的・目的合理的にはまるで支離滅裂なただの回り道でしかないのに、私には良太郎の苦悩とその果てに見られた良太郎とモモタロスの固いハンドシェイクが、むしろ「これぞあるべき姿」としてすんなりと腑に落ちるのだ。
何故なんだろうね?
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