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原 克『流線形シンドローム』 (2008年02月18日)
まだ読んでいる途中ですが、この本はかーなーり面白い!
20世紀初頭に流行した「流線形」の概念が、元々の科学的(流体力学的)な意義を離れて一人歩きし、やがて「効率性」や「無駄の排除」などといった別種の機能的理念一般を指す概念へと拡張されていくプロセスを、ドイツ・アメリカ・日本の三国における「流線形」イメージの変遷として追っています。
とりあえず、1930年代のアメリカにおける「流線形」イメージの変遷を紹介している前半部で、強く印象に残った部分をご紹介。
どうでしょう。私はこのあたりまで読んだところで、鳥肌がゾクゾク立ってしまいましたよ。ある「無駄の排除」の正当性が自然によって必然的な形で証明されている、というイデオロギー構造の生成過程そのものです。未読の後半部では優生学やナチスの話なんかも出てくるようで、「流線形」というのが歴史的には重い意味を担った概念なのだという認識が、本書の底流にあるようです。
20世紀初頭に流行した「流線形」の概念が、元々の科学的(流体力学的)な意義を離れて一人歩きし、やがて「効率性」や「無駄の排除」などといった別種の機能的理念一般を指す概念へと拡張されていくプロセスを、ドイツ・アメリカ・日本の三国における「流線形」イメージの変遷として追っています。
とりあえず、1930年代のアメリカにおける「流線形」イメージの変遷を紹介している前半部で、強く印象に残った部分をご紹介。
専門家たちは、流線形の研究にとりくむとき、自然界にある理想の流線形現象をひとつの規範的モデルとして念頭においていた。賢き自然は、もっとも合理的なかたちに落ちつくものだ。これが彼らの思考パターンであったことは間違いない。そして、この思考パターンがポピュラーサイエンスの神話構造により発信されると、一般読者のもとには、次のようなメッセージが届くことになる。奇抜に見えるかもしれないけれども、流線形というのは自然に範をもっているのですよ。けっして、いい加減なものではないのですよ。
(略)
……見のがしてはならないのは、流線形の無謬性を、自然界に範をもとめることによって確保しようという構図である。そして、その構図がポピュラーサイエンスの表象世界において、流線形が身につけてゆくことになる新たな記号性である。簡単にいえば、流線形の正しさは自然が証明しているというメッセージだ。じつは、流線形がたんなる専門用語から、時代のキーワードになってゆく変容の過程にとって、自然による流線形の根拠付けというこの系譜こそ、重要な意味をもつことになるのである。それこそ、流線形シンドロームの実質的な第一歩に他ならないからだ。
(原 克『流線形シンドローム 速度と身体の大衆文化史』紀伊國屋書店、2008年、p.60-61)
第一段階の大衆化した流線形イメージとは、これまでみてきたように、ゴルフボールや扇風機などに冠されてゆく流線形というネーミングのことである。この段階では、車や飛行機について語られてきた科学的構図が、まがりなりにも残っているのである。つまり、どこかしらまだ「空気抵抗」を連想させる要因が感じられるのだ。(略)それに対して、第二段階における流線形イメージには、もはや「空気抵抗」と関連する要因はまったく残っていないのだ。レストランの配膳台にしろ、ガレージの作業台にしろ、空気中を走ったり飛んだりしないものばかりだ。物理的に空気抵抗など、まったく関係ない静止物体ばかりである。にもかかわらず、そうした静止物体たちが流線形と称せられてゆくのである。(略)
じつは、この時期の記事や広告のテキストを読んでみると、奇妙なことに気がつく。そこには、ある説明のパターンが存在しているのである。すなわち、なるほどそこには「空気抵抗」はないのだけれども、しかし、排除すべきなんらかの「抵抗因子」はあるのである。(略)それは、「ムダなスペース」であったり、「仕事の邪魔になるでっぱり」であったり、「作業の動きを阻害するまわりみち」であったり、「余計な手間」であったりする。
(略)新型のスチーム台や新型のガレージ作業台は、こうした「抵抗因子」を排除するための仕掛けなのだ。そして、そうした「抵抗因子を排除する」ための仕掛けが、「流線形」スチーム台と呼ばれ、「流線形」ガレージ台と名づけられているのである。要するに、そこでは、空気抵抗という空気力学的な抵抗因子が排除されようとしているのではなく、作業効率にとってのムダや邪魔という、人間工学的な抵抗因子が排除されようとしているのだ。こうした変容の過程を、物理学から人間工学への議論の水平移動と称してもいいだろうし、流体現象からひとの行動パターンへの分野の水平移動、形而下的抵抗から形而上的抵抗への理念的水平移動といってもさしつかえない。
(上掲書、p.112-113)
どうでしょう。私はこのあたりまで読んだところで、鳥肌がゾクゾク立ってしまいましたよ。ある「無駄の排除」の正当性が自然によって必然的な形で証明されている、というイデオロギー構造の生成過程そのものです。未読の後半部では優生学やナチスの話なんかも出てくるようで、「流線形」というのが歴史的には重い意味を担った概念なのだという認識が、本書の底流にあるようです。
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