電撃かたつむり通信(仮)

人生リハビリ日記。改題タイトル考案中。

……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に本来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。

(廣重徹『科学の社会史』)

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「よかった、病気の子供はいないんだ」 (2009年08月19日)



「良かった・・・病気の子供はいないんだ」という古典的ジョークがあります。
(略)
それを聞いたAは笑顔になった。
「良かった。病気の女の子はいなかったんだ…」

さて、いまAは真剣にそう発言したと仮定して、

[1] Aの発言のどこがおかしいかを論理的に説明し
  (「Bに対し怒るべきだから」程度の説明ではなく、もっと深い説明で)

[2] いっけんこのジョークとは違って見えるものの、
  誤りの構造は同じという例を挙げるか創作してください

http://q.hatena.ne.jp/1245366863

 ここに寄せられている回答も非常に面白いものが多いのですが、私ならこの物語から発せられるメッセージの受け手の存在を織り込んで、こう答えるかもしれません。


 ── このCMが「いい話」として話題になったのは、その前提としてAのようなことを真剣に言う人がまずいないだろうという前提的認識があるからだ。この認識の下では、法的に当然主張すべき権利を主張しないというのはおかしな話になる。
 だからこそ、その態度の希少性が、現実にはなかなか存在しないという価値をこの話に付与した。
 従って、受け手の現実認識を考慮に入れた上でのAの発言のおかしさとは、「Aのような発言が現実にはほぼありえない」という、受け手にとっての端的な非存在性または希少性を指している。

 ここから、誤りの構造が同じ物語を構築するならば、自分の現実認識においてはありえないか極めて希少であるような言動を核にすればいいということになる。
 当初の物語に似た構造で考えるなら、最初の給付から当然期待される結果がもたらされず、それに対する応報としての社会的制裁も相手に加えられないことに、何らこだわらないという意味での「ありえない」言動であればいい。

 この点から、一番近いものとして私が考えたのは「イワンの馬鹿」の童話なのだが、あれも事後の応報という契機がないわけではない。
「病気の子はいない」プロットを一部エピソードに取り込んだ『仮面ライダー龍騎』あたりはどうだろうか。あるいは『龍騎』に限らず、そもそも無報酬で他人を救うことに命がけになるボランティアなどというものが信じられないという人にとっては、労力に対する反対給付も求めず、その過程で自分の蒙った不利益に対して司法が懲罰的に介入することも特に期待しないタイプのヒーローもの全般が、同じ類型に入るかもしれない。アギトあたりは一時警察(北條刑事)にも追われてたしな。でもこれは応報とはちょっと違うような。

 そうだ、この話のポイントはAが法的に見て被害者であるということだった。つまり警察に被害を届け出ない泣き寝入りの、それでいてそのことに何故か満足しているという意味での「ありえない」非存在的・稀少的行為なのだ。うーん、結構難しいなあ。

 じゃあ逆に考えて、どういうケースなら「あり得る」のか、つまり受け手の現実認識にとって「然るべき」流れになるのかというと、

1.実際に病気の子供がいる。
2.詐欺の人が逮捕され裁かれる。

のどちらかになるだろう。1なら自分の行為が無にならず初期の意図を満たすことになるし、2なら自分の財産権が不当に侵害されたことに対して司直が然るべき社会的制裁を加えたことで、とりあえず公的には補償(秩序が回復)されたということになる。
 言い換えれば、物語の存在の蓋然性を満たすには、1によって給付と反対給付の相互的契約行為(この場合の反対給付は財・サービスではなくボランティア的な内面的満足にとどまるが)による「公正な取引関係」が成立するか、あるいは2によって結果としての法的・社会的公正さが満たされるかのどちらかの手を取るしかない、ということだ。

 つまり、Aの発言の「おかしさ」とは、受け手がこの状況をマクロ的な社会秩序のあるべき範型から逸脱していると認識したところに発しているのであり、もしこれと同じ構造を考えるとしたら、それは、
「法や取引の公正な秩序から逸脱した状況において不利益を被っているAが、何故かその不利益または当の不利益をもたらした構造を認識しておらず、そのために本来の秩序から逸脱していない通常の状況であれば当然享受すべき利益をA本人が逸しているだけでなく、マクロ的な法秩序の回復も為されぬままにある」
というところがポイントになるのだろう。


 ── うーむ、今日はこのくらいしか頭が回らない。自分の真意のストレートトークではなくアイロニーとして何かを書くのは、やはりふだん以上に頭を使うもんだ。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/21062150.html

福間良明『「戦争体験」の戦後史』 (2009年08月18日)

 今日読んでいた福間良明『「戦争体験」の戦後史』(中公新書、2009年)は、第二次大戦の学徒兵の遺書を収録した古典的遺稿集『きけわだつみのこえ』の受容のされ方の変遷や、同書の編集主体となっている日本戦没学生記念会(わだつみ会)の軌跡、さらにはこれと対比する形で他の戦争体験の受容を取り上げながら、戦後半世紀以上に渡って戦争体験の伝承がどのような経路を辿ってきたかを跡付ける本です。
 ただし戦争体験といっても千差万別であり、本書ではあくまでも『きけわだつみのこえ』とその周辺に的が絞られています。そのために、収録された遺書の筆者が当時の日本社会の中では例外的な存在であった高学歴の学徒兵であったことから、本書では「教養」と戦争体験の「語り」の関係が大きくクローズアップされます。
 ……着目すべきは、「わだつみ」が戦没学徒を記念した特殊なものにすぎないということではなく、にもかかわらず、なぜ、一定の社会的支持を獲得し、「戦争体験の伝承」を訴えることができたのか、ということであろう。戦没学徒に象徴される「教養」は、戦後の戦争体験の語りを少なからず下支えし、あるいは左右してきたのではないか。「わだつみ」は、「教養にもかかわらず」というよりも、「教養のゆえに」、広く国民に支持された側面があったのではないか。

(p.7)

 本書で指摘されているのは、戦中派の学徒兵の遺書に見られる「教養」が、時代によりその価値的な意味を相対的に変化させていったということです。戦時中の教育・言論状況や日本主義的風潮に強く制約・影響された戦中派の学徒兵の「教養」は、自由主義やマルクス主義などの洗礼を受けた戦前派の教養人から見れば「無知」に近いものと受け止められがちで、最初の『わだつみ』発刊当初にはそのような評もあったそうです。『わだつみ』のロングセラー化が、岩波新書をライバル視し岩波系の「正統的な教養」とは一線を画した庶民的な教養を標榜する光文社カッパ・ブックスに収録されて以降のことであったという事情も、象徴的に紹介されています。
 一方で、戦後の反戦運動や学生運動の中では戦争体験はしばしば実際の政治的“行動”と直結すべきものとされ、『わだつみ』などの戦争体験自体が体制に対する迎合の証として批判の対象となったりしました。わだつみ会自体も共産党や全学連などにおける様々な運動や内紛の影響を直接的に受けて組織が崩壊し、何度も立て直しせざるを得なくなりました。
 時代が下ると、「教養」という観念自体が大学でも一般にも次第に疎んじられるようになり、むしろ戦争体験がそれ自体として「正統的な教養」の仲間入りをするようになっていきます。
 こうした流れの中で、戦争体験は単純に「伝承」されてきたのではなく、むしろ様々な理由でしばしば断絶してきたのだというのが著者の基本的な見方のようです。わだつみ会発足早々に戦後共産党の分裂・内紛が会を動揺させ遂には崩壊させてしまった経緯から、わだつみ会は時流に乗って政治的行動を打ち出すよりもむしろ愚直なまでに自己の戦争体験に拘るべきだという点が強調されるようになりましたが、今度はそれが後の世代による積極的なアクセスと利用を拒否するような、まるで戦前の教養人が体験者=戦中派の「無教養」を批判するのと同じような世代間の「象徴暴力」として戦後派には捉えられがちになってしまいます。

 ……なんとかアウトラインをまとめようとしましたが、論点が非常に多岐に渡っているので、この短い文章ではまともな要約すら出来ません。ただ、全般に論旨が整理されているので、ボリュームの割にはかなり読みやすい本ではないかと思います。
 また、本書の論の流れで見過ごせない点は、こうした無数の軋轢や論争を経る中で学徒兵に対する評価もまた次第に変化していき、単純な「悲劇的な被害者」でも「無知な若者」でもなく、その裏返しとしての単純な「加害者」としてでもなく、歴史の大きなうねりの中に放り込まれた個人の視点に定位しながらなおその中に宿る責任や倫理を追及するという方向性も出てきており、しかもそれは戦争責任論が前景化する80年代よりもかなり以前から「わだつみ」周りでは提起されていたという指摘です。
 ……かつて安田武は「『死』という事実のまえに、謙虚になること」を説いた。それは、戦没者の死を反戦イデオロギーに流用することを拒むと同時に、「殉国の至情」といった快い意味を付与しようとする後世の者の感傷をも断とうとするものであった。安田は、彼らの死が形容しがたい「無意味な死」「犬死」であったことを直視しようとした。そして、そうした「死」を生み出した状況への怒りをたぎらせたのであった。このような見方からすれば、遊蹴館特別展に見られた「戦争体験の継承」は、むしろ「断絶」にほかならない。
 また、死者に寄り添うことは、しばしば、死者を批判することでもあった。かつて学徒兵であった舟喜順一は、『はるかなる山河に』を評するなかで、学徒兵の戦争批判の不十分さや無力さを批判的に論じていたが、そこでは「然し戦没者自身生前此等の反省を自らの来し方に加えるに至つた者もあるではないか」と記していた。死者への批判は、死者との対話と何ら矛盾するものではなかったのである。
 さらに言えば、死者の「殉国の至情」にこだわることは、戦争責任追及や加害責任の自覚と遠いわけでもない。渡辺清は、自らの「殉国」の心情や天皇信仰を突き詰めた先に、自分や戦死した戦友を裏切った天皇の戦争責任を見出した。かつ、それは、自らを「騙された」として免責するのではなく、逆に「騙された」自らの責任を問うものでもあった。……
(略)
 かつて「継承」とは、死者を心地よく語ることを拒み、自らにも批判の矛先を向ける不快感を帯びたものであった。それは、ときに「断絶」を導くものですらあった。だが、そのような戦争の記憶は、少なくとも特別展「学徒出陣五十周年」をめぐる言説空間では忘却され、感動の涙で覆われた快い「継承」が前景化した。
 ……

(p.248-250)


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/21051688.html

呪物 (2009年08月18日)

 国旗云々の話がどんどん大きくなっていく様を見ていたら、なんか気味悪くなってきました。

 ある記号の棄損が、その記号が指し示している実体の棄損の意志を表していると考えるのは、ある意味で呪術的な発想ではあります。
 党旗をありあわせの材料で作る時にとりあえず日章旗があったから使っておこうというのは、たぶん目の前にある日章旗は単なる材料や物質的素材であって、そこに何か精神的・象徴的なものが宿っている呪物(フェティッシュ)としてはその作業者には捉えられていなかったからではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。

 日章旗に限らず他国のものをも含めて国旗一般を棄損することはなるべく避けるという姿勢は、確かに礼儀として存在するでしょう。他者を尊重する一環として他者の持ち物や他者を示す象徴(記号)などを尊重するという態度には、契機として呪術的な心性が含まれており、儀礼的態度にはこのような物質的合理性では測れない契機が多く含まれます。
 逆に、他国への批判的意図を示すためにある国の国旗を燃やすというデモンストレーションもありますが、この場合には国旗は価値観的に否定的意味を含んだ呪物として取り扱われており、方向性は逆ですがやはりこの場合にも、国旗は単なる物質的素材以上の何かが宿っている呪物として見なされているわけです。
 でもこうした事例は、あくまでもその国旗が積極的に象徴として使用されている限りにおいてのことであって、例えばパーティー等の飾り物としてよくある万国旗を、使い終わってから燃えるゴミ(それとも不燃ゴミの方だったっけ)に出したとしたら、私は日本のみならず世界中の国家を破滅させることを意図しているということになるでしょうか。たぶんそう考える人は極めて少ないでしょう。この場合、飾り物としての万国旗はただの物質的素材であって、その旗に象徴された国家を指し示す呪物とは見なされないのが通例ではないかと思います。

 一方で、当事者が特に積極的に呪物的な象徴としては用いていなかった記号を、誰か別の人が「その記号の棄損はその記号によって指し示される実態を棄損する意志の現われだ」と批判した場合、記号の呪物的な“意味”を読み込んでいるのは批判した側の方ではないかと思います。これは、実際にそう考えている場合もあれば、批判のためのきっかけとして利用している場合もあるでしょう。この件に関連して方広寺鐘銘事件に言及している人も見受けられますが、「記号の棄損が記号の指し示している実体の棄損の意図を現している」という発想は、実際の意図とは無関係に政治的な口実として利用されることもあります。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/21043095.html

人種的エリート (2009年08月18日)

 とりあえず備忘録。


 ── 何となく連想したこと。

 ナチスがまだ政権を取る前の1929年に、党首脳の小規模なボディガード部隊であった親衛隊(SS)の長官に就任したハインリヒ・ヒムラーは、人種的エリートの概念をSS組織に持ち込み、既存の党武装組織である突撃隊(SA)とは全く異なった位相において組織の拡大を図った。
 送られて来る志願者の写真の一枚一枚から、ヒムラーは彼のいわゆる人種的純潔を意味する、「良き血」を見出すまで、拡大鏡を使って仔細に調べるのだった。ある時、将校たちに言ったことがある。「私は常に、この男にどこか外国人の血が混じっている徴がないかと考える。たとえば張り出した頬骨はモンゴル民族がスラブ民族の特徴とは言えないかと。なぜそういうことをするのか。一つの経験的事実に諸君の注意を喚起したい。1918年と19年当時の軍人委員会のメンバーのタイプを思い出してもらいたい」
 この言葉からすると、ヒムラーの「良き血」を主体とした生物学的基準への執着は、単に人種主義者の幻想から派生したものと言い切ることはできない。彼は同時に軍人委員会によって縮図化されている元将校やフライコール(反革命義勇軍)の指導者たちの落ちぶれた精神に訴えようとしたのである。戦争が終わった時、極左の兵士たちは将校の階級章を剥ぎ取り、彼らにいやし難い心の傷を負わせたのだが、その同じ兵士たちは同時に、将校らが皇帝の軍司令部を革命から守るために指一本使わなかったことも経験していた。ヒムラーはその当時はまだ士官学校の生徒だったから、レームのいわゆる「赤色愚民への不名誉な降伏」を表わす軍人委員会を知らなかったが、元将校たちが昔の忌むべき思い出を噛みしめているのをよく知っていた。「あの当時将校であった諸君はそのような連中と多数接触してきたから、今確信をもって言えるだろう。彼らが我々ドイツ人の眼に何か奇異に映る特徴をもち、外国人の血をどこかに持っていたのを」
 この論旨は彼が最初に連れて来たSS隊員の属していたグループにアピールするよう計算されたものだった。彼らは元将校やインフレで職を失った大学卒業者や失業者のさみしい集まりだった。フライコールや国民主義的防衛隊を経て、新しい共同体を求め、ヒムラーの選民思想のもとに結集した連中だった。ヒムラーは彼らに家を与え、社会的な特権を失って困窮している生活から解放すると約束した。
 それまでエリートという言葉は社会的な概念を表わしていた。財産、教育、血統でエリートは規定され、前線にいた失われた世代にはエリートへの門は閉ざされていた。社会への適応性がなく、国家の兵卒というロマンチックな意識を持った彼らは社会のノーマンズ・ランドへ追い込まれていった。ヒムラーは社会的エリートの代りに、人種的貴族主義、観念的貴族主義という全く別のエリート意識を導入したのだ。「良き血」のエリート思想は霧のように人々の間にしのび込み、あちらこちらで論議を呼び、失われた世代をヒムラーの隠れ家へ走らせた。彼らは直ちに徒党をなした。

(ハインツ・ヘーネ『髑髏の結社・SSの歴史』森亮一訳、フジ出版社、1981年、p.60-61)

※上掲書は現在講談社学術文庫に所収(全二巻)


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/21034584.htmlおよびhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/21035427.html

B・C・L!! B・C・L!! (2009年08月16日)

 いや、久々にこのコールやってみたくなったので。w

「海外の日本語放送を聴こう」(デイリーポータルZ 2009/8/13)

 ありましたねーBCL。懐かしいなー。
 記事の中では中国国際放送局の日本語放送(北京放送)がWeb上でも聴けることが紹介されていますが、他にイランの日本語放送もWebサイト上で聴けます(リアルタイムストリーミングのみ)。
ふだん我々が接するニュースは、主観を排した公平な(ということになっている)情報だが、海外日本語放送で聞こえてくるニュースは、その国の主観に基づいたものだ。
現在日本語放送を行っている国(や団体―今回取り上げなかったが、宗教放送もある)は、日本人に理解されにくい、あるいは理解している人が少ない主張を持っている国が多いので、自分とは違う考えを持っている国があることを直接声を聞いて知るというのも、大変興味深い体験だと思った。

http://portal.nifty.com/2009/08/13/a/2.htm

 日本語放送に限らず、対外的な放送にはこうした宣伝・広報の目的が非常に強く働いているので、必要が無くなったと判断されれば廃止されることもあります。アメリカの対外広報放送「Voice of America(VOA)」には戦時中及び戦後しばらくの間日本語放送がありましたが1970年に廃止されており、イギリスBBCのWorld Service(外国向けラジオ放送)の一環として存在した日本語放送も1990年に無くなりました。他にも、ラジオ・オーストラリア、ドイチェ・ヴェレ、国連放送などといったあたりにも“今は亡き”日本語放送が1980年代まで存在しており、こうした変遷にも日本という国の対外関係の変化が間接的に現れていると言えるかもしれません。


【※ このエントリはミラー投稿記事です。初出はhttp://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/20996080.html

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